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3481号 2023年9月4日

日本人のキャリアは、受け身でも、能動的でもない?! -中動態という世界ー

(本日のお話 3999字/読了時間5分)

■おはようございます。紀藤です。

引き続き、宮崎におります。
法事にて諸々の予定が変わっており
逐次調整中でございます。



さて、本日のお話です。

先日ご紹介いたしました書籍

『リスキリングは経営課題~日本企業の「学びとキャリア」考~』
小林 祐児 (著) /パーソル総合研究所


の中で、
「日本人のキャリアの特徴」について
著者の見解を解説している章がありました。

その内容が、
「日本企業におけるリスキリング(学び直し)」という観点で
重要なポイントを伝えてくれているように思いました。

今日はそのお話について、
本書からの学びを共有させていただければと思います。

それでは早速まいりましょう!

タイトルは

【日本人のキャリアは、受け身でも、能動的でもない?! -中動態という世界ー】

それでは、どうぞ。

■「日本人は学びたくもないし、
転職したくないし、勤め続けたくないし、
企業と交渉したくもない超・協調主義的な労働者」

先述の書籍に、このような表現で
日本の労働者について説明がありました。

なんだかこうした言葉を見ると
いささか反発したくなる気持ちもしてしまうのですが、

列挙されたデータを考えると、
認めざるを得ないようです。

■その中で著者は、

”日本人のキャリアに対する”意思の欠如”は
果たしてどこからやってくるのか?”

ということを考え、考察しています。

その結論が

「日本人のキャリアは”中動態”的である」

という話でした。

■さて、この「中動態的」とはいかなるものか?

以下、本書より引用させていただきつつ
共有させていただきます。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<日本人の中動態的なキャリア>

・哲学者の國分功一郎の述べた『中動態』という概念。

・比較言語の知見によって明らかにされてきた、
能動態でも受動態でもない「中動態」(Middle Voice)がある。

・日本人のキャリアは
企業主導の配置、組織異動、企業主導の賃金など「受け身」だと考えられている。

しかし一人ひとりの働き方をみてみれば、企業のなすがままにされているわけではない、
組織適応するのも、出世競争も、評価を受けるのも個人であり「能動的」にも見える。

・この状態は「自分が主語ではないが、かといって完全に受け身でもない」=”中動態”的キャリアといえる。

・「たまたま辞令を受けた異動で新しい出会いがあった」
「やりたいことは会社に入ってから考えればいい」「MUSTの中からWILLが見えてくる」、
これの耳にする言葉は、中動態的なキャリアを良いもの、
否定すべきではないものとして捉えている言説であると考えられる。

・中動態的キャリアは、会社という机の上で回るコマのようなものである。
コマは自ら回ることはできない。
コマが回る「動力」は、「自分自身ではない企業」が与える力によって生み出される。

しかし机の上で回っているコマの一つ一つは、
移動しつつバランスをとりながら、速度を調整し、
よりうまく、より長く回ろう=働こうとする「能動的な主体」そのものである。
「受動的に回されたコマとして能動性を発揮する」という構図がそこにはある。

※小林(2023)『リスキリングは経営課題~日本企業の「学びとキャリア」考~』
第二章 より一部引用、著者により編集

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)

とのこと。

■なるほど、、、

そして、著者は加えて
このようにも述べています。

”「置かれた場所で咲き続ける」ことによって、
組織内のキャリアの長くて広いはしごをのぼることができたこと、

このような日本のキャリアの現状は、哲学的メタファーを言えば
「自由からの逃走(エーリッヒ・フロム)」である、あるいは
「合理的無関心」とも言える。”

とのこと。

うーん、なんだかなあ。。。

「コマ」とか、「自ら回ることができない」と言葉にされると、
「受け身」=「よくない」という考えに染まってしまっているからか、
ちょっとざわざわしてしまうのですが、
続く話では、以下のように展開されていました。

■以下、「中動態であること」について
見解が続きます。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<”中動態的であること自体”は悪くないが、
”中動態的キャリア”は、抱えがちになる問題がある>

・「中動態」的であること自体に、
正しいも正しくないも、良いも悪いもない。

先程の状況を見て、アメリカ的なキャリアではこうではない、、、
と意思のなさや能動性の欠如を嘆きたくなるのは、
「能動/受動」という「新しい区別」を用いた対立構造に
私達が慣れ親しんでしまっているからである。

・「中動態」的である日本人のキャリアは、
見る立場によってポジティブにもネガティブにもなり得る。
キラキラしたキャリア論者から見れば「受け身的」に見える。
しかし、それもまた「受動か能動か」という現在の言語体系に縛られた思考である。

・「仕事などただの食い扶持でしかない」「仕事での自己実現よりも家族との時間のほうが大切だ」
という価値観も、極めて一般的なものである。
エンゲージメントという言葉がいくら流行しようと、仕事から「距離を取る自由」もある。
キラキラした「自分らしいキャリア」ばかりが正義のように考えるのは、単なる視野狭窄である。

・日本の中動態的キャリアが「問題」になってしまうのは、
変化し続ける環境と企業の人材マネジメントの相性の悪さからである
「中動態的であること」そのものではない。

・その前提の上で、「中動態的なキャリア」が抱えがちな課題をまとめれば、次のようなことである。
1,学びへの意思も、学ばないことへの危機感も醸成されないこと
2,主体的に専門性を蓄積する習慣がつかず、半端な専門性も時間の経過とともに陳腐化すること
3,処遇があがることによって、中高年になってからの成果と期待がアンマッチを起こすこと。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)

とのこと。

■「中動態的であることに、
良いや悪いなどはない。」

そして、

「自分らしいキャリアこそが正義」と思うのは
単なる視野狭窄である、

そのように喝破することからも、
自分がいわゆる”キラキラしたキャリア論者”の一派であったかと
身につまされるようにも感じました。。。(汗)

仕事の捉え方も向き合い方も、
それは人次第であり、否定などできるものではない。

、、、しかしながら、こと

「キャリアにおけるリスキリング(学び直し)を考えると
この”中動態的キャリア”は相性が悪い」

と繋げています。

■そして、その理由について、
「企業と従業員の関係が変化し、
求められることが変わってくるからである」

と更に展開して述べています。

以下、続いて引用させていただきます。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<中動態的であることを許される若手・中堅と、
受動的とされ、許されなくなってくるミドル期以降の従業員>

・入社から中堅までは、企業側と、
受け身でもなく、かと言って能動態的でもなく中動態的に働く従業員という構造は、
互いに噛み合っている相互依存関係である。
それによりお互いにメリットを享受している

・しかし、中堅を越え、ミドル世代になると、企業は与えるものがなくなっていく。
「働かないおじさん」という言説が象徴的であるように、
ポストや役割、賃金を縮小させていくと同時に、
従業員を「受動態」的な存在として扱い始める。

・そのとき企業は従業員それぞれ個の主体性=WILLを、
入社してから20年後、ミドル期頃になって急に求め始めます。

・これは人事戦略における「一貫性のなさ」そのものである。
それを従業員個人に責任転嫁する構造になっている。

・中動態的なキャリアを歩んでいくビジネスパーソンが、
歳をとるごとに「受動」と「能動」の区別に追いやられ、
「中動態」であることを許されなくなってくる、

それが中動態的なキャリアに降り掛かってくる現実である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)

とのこと。

■興味深いのが、

相互依存的に企業と従業員が噛み合っているときは、
「中動態」であることを良しとされるのに、
(=受動的、能動的などの責任の話になりづらい)

年齢が上がって、仕事も渡せない
乱暴に言えば”お荷物”として企業により思われ始めたときに

「能動的にできていたはずなのに、
受動的でいたのはあなただ」

と責任転嫁されるようになってしまう構造があるということ。

これは「中動態」という言語が失われたため
能動or受動という対立構造に思考になってしまい、

「中動態的であったことに
お互い暗黙で認めあっていたよね?!」

という感覚が言葉にされず、また言葉にすることもできず
黙殺され、なんだか急に「キャリアは自己責任」といわれ、
でもそれってないんじゃないの?

と感じてしまう所以なのかも、、、とも感じました。

(あくまでも見聞きしたレベルでの
個人的な所感ではありますが)

■ただし、

”中動態的なキャリアを歩んでいくビジネスパーソンが、
歳をとるごとに「受動」と「能動」の区別に追いやられ、
「中動態」であることを許されなくなってくる、
それが中動態的なキャリアに降り掛かってくる現実である。”

とあるように、

この流れの中で、

「現実として中動態であることを
許されなくなってくる」

という流れは確かに存在している、と思いますし、

この中動態的キャリアが抱えがちな問題がある
すなわち、機能不全に陥っているというのは
読んでいて納得するところでした。

その上で、学ぶも学ばないも、
選択の上でどうするかは個人の自由ですが、

少なくともこうした状態(中動態的キャリア)という
考え方を私達が持っていることは、
大事な一歩のように感じた次第です。

昨日、大きめの企業で働く
ミドル期の姉と話しつつ、
上記の内容について、考えた次第です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

あなたの心が正しいと思うことをしなさい。
どっちにしたって批判されるのだから。

エレノア・ルーズベルト

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