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1638号 2018年8月11日

見知らぬ他人に、なぜ非情になってしまうのか

(本日のお話 2232字/読了時間2分半)


■こんにちは。紀藤です。

昨日金曜日は、

『識学』
https://corp.shikigaku.jp/

という組織コンサルティングのセミナー
に参加してまいりました。

ちなみに「識学」とは「意識構造学」のこと。
(俳優の要潤さんが出ているCMで有名です)



内容としては、通常、
当たり前とされているマネジメント方法、

例えば、

・部下のモチベーションを上げるのは上司の役割である
・結果だけではなく、社員の頑張る姿を評価すべきである
・社長は自ら現場に入るべきだ

という”やり方”を
真っ向から「間違いである」としています。


私の先輩の社長さんのお誘いで参加しましたが、
非常に面白く、学びになる時間でした。

思うことは色々ありましたが、
一言で言えば、

「一人ひとりが責任を持って、
 利益を上げることを考え、実行せねば
 組織は戦いぬくことはできないのだ」

という事実を考えさせられた次第。

個人的な感想ですが近しい理論として、

Googleが全社導入している『OKR』、
(=実行させる仕組み)

・『OKR(オーケーアール) シリコンバレー式で大胆な目標を達成する方法』
 (著:クリスティーナ・ウォドキー)
  http://amzn.asia/7Aswoa7


「7つの習慣」のフランクリン・コヴィーで伝えている「4Dx」、
(=これまた実行させる仕組み)

・『実行の4つの規律(4Dx) 行動を変容し継続性を徹底する』
 (著:クリス マチェズニー)
  http://amzn.asia/gvUDThM


に近い考えを感じました。

結局、「やりきる」ことがなければ、
結果は出ないのです。。。

私もやりきろうと、
改めて思いました。


■さて、だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、
本日のお話です。

あるコーチの友人から聞いた話で、
興味深い「人間関係にまつわる小話」があります。

その内容は、

『他人に非情になってしまう条件』

について。

それが、とても考えさせられる話だな、
と思いましたので、本日はそのお話を、
皆様にご共有させていただきたいと思います。


タイトルは、


【見知らぬ他人に、なぜ非情になってしまうのか】


それでは、どうぞ。


■皆様も、きっとご経験があると思うのですが、
例えば、

・満員電車で混み合っているとき、とか、

・新宿や渋谷など、人混みで紛れているとき、とか

・夏祭りで人がわんさかいるとき、

などに、肩がぶつかったり、
相手から押されたりすると、
無性に腹が立つ、ということ、
ありませんでしょうか。


、、、正直、私は大いにあります。

普段、そんなに腹を立てない方だと思うのですが、
それでも、なぜだか

「知らない誰か」

に対して、無性にイライラしてしまう、
ということがあるのです。

そして、その後、
己の器の小ささを省みてしばし反省、、、
(その人が悪いわけではなく、
 混んでいる状況が悪いのですから)

ということがしばしばあるのでした。


■その「何故知らない人に冷たくなるのか」
という理由を考えたとき、

コーチ仲間が、こんなエピソードを教えてくれました。

(虫関連の、ちょっと残酷なお話が出ます。
 苦手な方は読み飛ばしくださいませ)




あるコーチ仲間の友人の話。

その友人が小さい頃の話しだそう。

男の子が持つ特有の興味と共に、
その友人が「虫」と戯れていた時の話。

大人になると、「虫」というだけで、
不快になることもありますが
小さい子供は好奇心のかたまり。

生命の不思議さに心惹かれ、
虫をとったり、時に命を奪ったり。

私も、やったことがありますし、
皆、男子は通った道かもしれません。



そんな中、その少年は、

「よくわからない虫の軍団に殺虫剤をかける」

ということをしていたときがあったそう。
(今思えば、残酷極まりないのですが、、、)


しかし、その当時、
その残酷な行為をした少年が言ったのが、
思いがけず、こんな言葉だったそうです。


「よくわからない虫の大群の中に、
 コオロギとか知っている虫がいた。
 でも、”知っている虫”はころせなかったんだ」


、、、と。


つまり、何が言いたいか、というと
幼き子ですら、

『知らない「名もなき虫」には非情になれる』

ということ。

そして同時に裏を返せば、

『自分が「知っている虫」には非情になれない』

という話。

本能レベルで、
”「知らない存在」に対して非情になる”
というのが人間なのかもしれません。


■そして、このこと、
「人間関係」においても、
実は同じようなのです。

私達は、

・身近な友人
・仲の良い同僚
・いつも一緒にいる家族

には、優しく、情が深く
接することができるものです。

しかし、冒頭の

・満員電車の「見知らぬ人」
・街ですれ違った「名も知らぬ人」
・人混みで肩がぶつかった「縁がない人」

は、非情になってしまう、、、


そして、これは多くの人に組み込まれている
プログラムのようなものかもしれません。


■コーチングを生業にしている友人曰く、
職場において、ある法則があるそうです。

それは、私達が職場において、

「この人、性格が合わない、、、」
「この人、どうも苦手だ、、、」

と思う人を想像した場合、
面白いことに、

『その苦手な人のフルネームや家族構成、
 プライベートのことなど、知らない場合が多い』

そうです。

つまり、

「その人を知らない」=「苦手」
「その人を知らない」=「非情になりがち」

ということが多いそうなのです。


比較するものではないかもしれませんが、
『「名もなき虫」には非情になれる』
という話と、根本は似ています。



■改めて今回のテーマでもある

【他人に、つい非情になってしまう条件】とは、

『その人のことを、「知らないこと」』

に由来する、と言えるのでしょう。


だからこそ、逆に考えれば、
誰か苦手な人、合わないと感じる人がいた場合、


『その人のことを知る、知ろうとしてみる』


ことは、苦手意識をなくす、
一つの方法になりうる、

ともいえるはず。


「名を知る」
「ルーツを知る」ことで、
その人との距離は縮まりうるのです。

一つのチャレンジではありますが、
そんなことも覚えておくと、
人間関係をより健やかにするヒントになりえるかもしれない、

そのように思った次第です。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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<本日の名言>

理解できない人のことを
愚か者と見なしてしまうことが
人間にはよくある。

カール・グスタフ・ユング

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