18年ぶりに大学の仲間と集まって「自分の物語」が書き換わった話
(本日のお話 1758字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
先日は福岡にてお仕事。
また朝は、大濠公園(おおほりこうえん)という
博多天神付近のランニングスポットにて10kmのランニング。
とても素晴らしい場所でした。
*
さて、本日のお話です。
先日、18年ぶりに大学時代の仲間と集まりました。
当時通っていた大学のある福岡に、
大分から、広島から、東京から、そしてフィリピンから集結しました。
不思議なもので、20年近く経っているのに、集まった瞬間に学生の時の雰囲気そのまま。
みんな驚くほど若々しく、40歳を超えても30代前半でいけそうな感じです。皆色々あるのでしょうが、輝いて見える仲間たちの姿がとても嬉しかったです。
同時に、大学時代にタイムスリップするような感覚を覚える中で、「自己認識がアップデートされる」感じを覚えました。忘れていた、大切な自分の一部を思い出す感じです。
今日は、そんなお話をしてみたいと思います。
それでは、どうぞ!
■キャリアストーリーとは物語である
人は自分に対して「物語」を編んでいます。
誰もが、幾多の人生経験を持ちます。
しかし、その経験すべてを思い出すわけではありません。
ゆえに、
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⑴ これまでの経験の中から「印象に残った出来事をピックアップ」する
⑵ それらの出来事を編み上げて「ストーリーとして物語を編む」(=組織化する)
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こうして、”自分”という自己認識が強化されていきます。
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しばしば、「自己紹介」をする時でも、自分の経験すべてを語ることはできません。よく好んでいる「自分の物語」を繰り返し語っているものです。
そうして、そのうちにそれが強化されていく。そんな構造があります。
▽▽▽
例えば、私の場合、大学時代の最も印象的な出来事はこうです。
大学1年の時、キラキラした同期の仲間たちに比べて自信がなかった。
夜のバーテンダーのアルバイトを始めたところ、大学2年の時にアルバイト先の店長に殴られあごを骨折し、手術・入院した。
暴力に屈した自分が悔しくてボクシング部に入り、練習を頑張った。
こうした経験をつなげて物語を編むと、タイトルは「自信がなかった自分が、痛い思いをして成長した物語」となります。そして、この物語を好んで語っているうちに、あたかも自分の大学時代がそのストーリー一色だったかのように錯覚してしまっていました。
しかし、実際にはそれ以外にもたくさんの出来事があったはずなのに。
■自己認識をアップデートせよ!
さて、ここからが先日の再会の話です。
私は所属していたサークルの中で、尊敬でき、ユニークで面白いと思った仲間たちが数人いました。
私が大学4年。対して、当時の1〜2年生の後輩たちと、レンタカーを借りて旅行に行ったり、当時の先輩という特権で、自分のわがまま旅行に付き合ってもらったり。
何気ない夜にみんなで鍋を囲んだり、「Dance Dance Revolution」という当時流行ったゲームをマンションの一室でやるという迷惑極まりないことをしていたり……。そんな、かけがえのない思い出がたくさんあったことを思い出しました。
そこには、「あごを折られて努力したストーリー」とも、今の「ノートやメルマガを毎日更新してコツコツやる自分」とも違う、別の自分がいるのです。
それは、「人にフラットに接して、好奇心があって、子どもっぽい自分」。過去から今まで、脈々と続いている根本的な自分がいるなと気づくのでした。
人が「変わった」とか「変わってない」とか、そんな言い方をすることがありますが、そうしたことを超えて、過去から今までずっと続いている自分という存在を、もしかすると物語化することで、自己認識を矮小化してしまっているのかもしれません。
つまり、「自分が語ってきた物語の中に、自分自身を閉じ込めてしまうこともある」のだと思います。
■まとめ
親が子どもに対して「収入や社会的地位はどうでもいい」と言うのを聞くことがあります。私も息子に対してはそう思うでしょう。
それは、表面的なストーリーや、世間が良いとする基準を超えて、その人が歩んできたすべての経験の大切さ、希少さを感じるからかもしれません。
最近、過去に縁のあった人と会う機会が急に増えています。
過去の自分の繋がりをたどることは、自分という歴史をたどることであり、自己認識をアップデートするような行為でもあるな…そんなことを思った次第。自己認識って深いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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