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3437号 2023年7月22日

思考を失ったゾンビの行進。「黒石駅」が「白石麻衣」に見えた日。 ~263kmマラソン体験記(5)~

(本日のお話 4302字/読了時間5分)

■おはようございます。紀藤です。

7/15(土)17:00に
弘前公園東門をスタートした
「みちのく津軽ジャーニーラン」。

今日も続けてまいります。

※昨日までのお話はこちら

◯「知らないから楽観的でいられる」 ~263kmマラソン体験記(1)~
https://1lejend.com/b/detail/HSfoIRnMfw/4549662/

◯120kmからが本当のスタート(そして絶望の始まり) ~263kmマラソン体験記(2)
https://1lejend.com/b/detail/HSfoIRnMfw/4550245/

◯「股間の痛みとリーダーシップ」海岸線の苦行 ~263kmマラソン体験記(3)~
https://1lejend.com/b/detail/HSfoIRnMfw/4550700/

◯闇の中の天使、私設エイドおじさん ~263kmマラソン体験記(4)~
https://1lejend.com/b/detail/HSfoIRnMfw/4551342/

今日は、7/17(月)、
3日目の朝9:30からのお話です。

それではまいりましょう!

タイトルは

【思考を失ったゾンビの行進。「黒石駅」が「白石麻衣」に見えた日。 ~263kmマラソン体験記(5)~】

それでは、どうぞ。

■7/17(月)朝9:30。

制限時間まで残り10時間半。

これまで5人いた仲間が
今では3人になりました。

それでも道中共に歩んだ仲間のおかげで
ここまで来れました。

一人では座り込んでしまいそうなとき、
仲間が先に進む背中を見て、
追いつかなければ、と思わされました。

■しかし、とはいえ
最後は、自分との戦いです。

ここからは最後の難関

”灼熱の国道”

が待っています。

1日目2日目とは
うってかわった晴天を前に国道を走り始めて
蘇る記憶がありました。

2019年7月。
今から4年前のこと。

私は「みちのく津軽ジャーニーラン」の
177km(短い方)を走っていました。

その2日目に通ったのでした。

その時は31時間のレース、
今よりも短かったはず。

それでも眠すぎて、
ガードレールや田んぼの畦道を見つけては
気を失うように寝た記憶です。

それを、4年前自分が寝ていた
田んぼのあぜ道を見て、
記憶がフラッシュバックしてきました。

(そうだ、、、
一番苦しかったのが3日目の
日中だったのだ)

残りたった50km、

でも永遠に続くかのような50km。

最後の苦闘を暗示しているようでした。

■212km~242km間の約30km。

日光を遮るものがない国道が
延々と続きます。

久々の太陽が顔を出し、
朝10:00前だと言うのに、
恐ろしく、暑い。

雲が太陽を隠すことを
願って上空を見上げます。

自販機で水を買います。

なんのためかというと
水をかぶるためです。

そうして、
体を少しでも冷やして、
熱を逃がすことで体力を保とうとします。

残体力は、ほとんどありません。
少しでも肉体への負荷を減らそうと試みます。

コンビニで氷を買って、
首筋を冷やしながら走ります。

■このときには

自分の走るペースは、
著しく遅くなっていました。

2日目の夜は、
1kmあたり7分00くらいでも
普通に走れていました。

しかし、3日目になると
頑張って足を動かしても
1kmあたり8:30が限界になっていました。

そして、時折、
大波のようにやってくる
強烈な眠気に煽られると、

強風を受けた紙飛行機のように
ふらふらと前に走れなくなります。

1kmあたり12分、13分と減速、
あるいは完全に止まってしまうのでした。

■体はわずか

2~3分の睡眠を求めて、
眠れそうな場所を無意識に探しています

信号機の隣に塀を見つけては
その裏で眠れそうだ、

スーパーの駐車場を見つけては
壁にもたれかかって眠れそうだ、

道路の路側帯のようなところに
少しスペースがあれば眠れそうだ、、、

頭の中で、山崎まさよしの
『One more time, One more chance』の
メロディが流れてきます。

”♪いつでも、さがしているよ
どっかに君の姿をー”

「君」が「寝れる場所」に
差し替わって、寝たい寝たい、
とにかくすぐに寝たいマン、

に成り果てていました。

■国道に入る前、
仲間のエンディとヒロポンと話します。

「国道からは
それぞれのペースで走ろう」

「最後の黒石駅で会おう」

そう212kmのチェックポイントを
出発しました。

最初は3人は
ほぼ同じくらいのペースで走っていたのですが、

220km、230kmと進むに連れて、
段々と距離が開いていきました。

私が、徐々に遅れていったのでした。。

淡々と走り続ける
修行僧のようなヒロポン、

そしてねちっこい(粘り強い)走りで
ぐぐっと追い上げてくるエンディ、

完走経験者の2人の実力が
3日目にして現れていました。

私は彼らの2人のオレンジ色のTシャツを、
視界の先にうっすらと認めるだけになっていました。

それは蜃気楼のように
ぼんやりと見えるような見えないような状態になり、
やがて完全に視界から消えていきました。

LINEで2人にメッセージを送ります。

「チェックポイントでもまたずに、先に行って下さい。
後で追いつきます」

、、、ここからは完全に1人。

■235km地点。

変わらず眠気と戦いながら、
走ったり、立ち尽くしたりを繰り返します。

ぼんやりした思考の中で、
視界の先に

仁王立ちをしている
ゴツ目の男性がたっていました。

そこには、
100km地点でリタイヤした
「提督」こと、赤羽氏がいました。

側には、妻と子供もいます。

私設エイドとして応援をしに
来てくれたのでした。

嬉しい、、、!

提督と妻がいるまでの
数百メートルは、虹がかかったように
足取りが軽くなりました。

応援してくれる人が、
すぐ近くにいてくれるおかげで
力をもらえる気がします。

「ヤス、大丈夫?
顔死んでるよ」と提督。

「顔、やばいね・・・」と妻。

私がどんな表情かは自分でわかりませんでしたが、
顔を作る余裕がないことは確かでした。

その側で、そこら辺を
走り回っている2歳の息子。

「ごめん、ちょっとだけ、
寝かせて」

車の中で5分、
寝かせてもらいました。

■何十時間ぶりなのか、

やわらかい座席で寝る5分は、
とてつもない効力を発揮しました。

体力を、そして応援によって
精神力を回復させてくれました。

あと7kmで次のチェックポイント。

股擦れ、尻の擦れは、
もうデフォルト。諦めています。

股も汗でしみて
キズパワーパットも
効力を果たさなくなっているけど、仕方ない。

それでも近くのローソンで傷口を洗浄して、
新しいキズパワーパットに張り替えると、
これもまた、苦痛がいくらか和らぎました。

そして、次のチェックポイント

「スポーツプラザ藤崎(242km)」

に到着しました。

あと、あと20km!

現在15時30分。

制限時間までのあと4時間30分。

これは、いける、、、!

■1kmあたり12分で走れば(歩けば)
20kmとして240分。

4時間でゴールができます。

いける、着実に刻めば
間違いなくいけるはず。

とはいえ、
睡魔が襲ってくることは必須。

足がどこかで攣る、
故障する可能性も考えると、
完全に安心領域とは言えない。

途中で休むことも考えると
1kmあたり10分くらいではなんとか
走り続けたい。。。

そんな計算をしながら、
チェックポイントでは止まらず、
ドリンクだけ補充して、通過しました。

■次に目指す、チェックポイント、
最後のチェックポイントは

「黒石駅(252km)」

です。

古い町並みに佇む駅。
観光地としても魅了的な場所です。

しかし、少しずつ日が傾いてきた頃、
異変が起こりました。

突然、地図が読めなくなりました。

西日に照らされながら

なぜだか

「黒石駅」が
「白石麻衣」(乃木坂46の元センター)

に変換されて、脳内で

黒石駅、白石麻衣、
黒石駅、黒石麻衣
白石、黒石・・・?

あれ、自分は
どこへ行こうとしているのか?

と謎の思考ループが始まりました。

やばい、これは脳がやられている、、、
足が止まって、眠たくて眠れなくて、
走れなくなりました。

なんとかせねば、、、と
近くのローソンを見つけ

「メガシャキ」
「強眠打破」

を2本立て続けにグビグビ飲んで、
目を覚まそうと気合をいれました。

「がんばれ、がんばれ」と一人つぶやき
自分に発破をかけました。

■そして
最後のチェックポイント

「黒石駅(252km)」

に到着します。

そこでも提督と妻が
待ってくれてました。

もう、少しでも早く、
ゴールをしたい。。。

残り10km、さっさと終わらせたい。

妻から充電器を借りて、
少なくなったスマフォの充電をしつつ

残り10kmの道を
Googleマップでオンタイムで
目視しながら進むことにしました。

先程の「黒石・白石麻衣症候群」のように
脳が彷徨わないよう、

”今進んでいる
この場所にのみ集中する”

ためのささやかな工夫でした。

■効果は絶大でした。

疲労と眠気で
ほぼゼロになった思考が、

焦点を定められたことで
何をすべきかがシンプルになったようでした。

残10kmという数字が
自分に力を与えてくれます。

Googleアップ上で
初めて現在地とゴール地点が
同じ画面で繋がりました。

必死で走ります。

それでも1kmあたり9分50秒。

普通の半分のペースでしか
もう走れなくなっていました。

■人もまばらな住宅街で、

255km地点にて、

ある老婆の方が
道を蛇行しているのが見えました。

体をくの字に曲げ、
びっこを引いています。

それは
ゾンビ映画のゾンビの歩き方に
とても似ていました。
むしろ瓜二つといってもよいです。

途中フラフラと車道に飛び出して
また路肩に戻っていきます。

その予測不能な動きに
恐ろしさすら覚えます。

その様子は尋常じゃなく、

こ大丈夫かな?と心配になるとともに、
さすがにランナーではないだろう、、、

とも思いました。

少しずつ近づいていくと、
くの字に曲がって上空を向いた背中に、
青色のゼッケンがついていました。

そこには「263kmの部」とありました。

表情は見えませんが、
その方はおそらく
50代くらいの女性だったと思います。

大丈夫ですか、と声をかけると
予想以上にしっかりした声で
「はい、がんばります」と返ってきました。

「最後まで、がんばりましょう」

皆、こんなボロボロになりながら
走っているんだ、、、と

制限時間が際どい中で
自分のことと共に、彼女のゴールも願いました。

■18:00、空は夕焼け。

19:00を回ると、
暗くなってきました。

残り4km。

あとわずかの距離が長い。

橋を越えればゴール地点の

「さくら野百貨店(263km)」

が見えてきます。

■みんなが

ゴールで待ってくれているのだろう、

そんな妄想を最後の力にして
3km、2km、1kmと刻んでいきます。

さくら野百貨店に至る最後の曲がり角で
スタッフの方が「お疲れ様です!」と
声をかけてくれました。

そして、さくら野百貨店の
駐車場の入口に入り、
ゴールテープが見えました。

そこには人はまばらです。

盛大な大会ではなく、
参加者も137名の小さな大会です。

ゴール前に、
走り回っている息子がいました。

わけがわからない彼を捕まえて、
一緒に、ゴールテープを切りました。

スタートから、累計50時間30分。

長い長い、本当に長い旅路でした。

■出走者は137人。

完走した人も、
皆、ほぼ瀕死状態。

ゴール周辺には、
まばらに人がいるだけです。

盛大なゴールではなく、
パラパラと拍手が起きることですが

それぞれの旅(ジャーニー)を終えた、
静かな満足感と安堵感がありました。

今回の完走者は54人。

完走率は40%。

続く悪天候が、完走率を
例年以上に下げたそうです。

苦しく辛い旅路でしたが、
この旅を終えられたことを誇らしく思いました。

■さて、この長い旅路を経て、

また一つ、
見える景色が変わったように思います。

チームについて、
人の限界について、
肉体の可能性について、、、

これらが何が、
どのように変わったのかについて、

次回、最終回として
まとめてまいりたいと思います。

(つづく)

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

世界には、君以外には誰も進むことができない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。
ひたすら進め。

フリードリヒ・ニーチェ
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