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3503号 2023年9月27日

『サビカスのキャリア構成理論』を読む ー「漂う人の不安」フレッドの軌跡

(本日のお話 4952字/読了時間6分)

■おはようございます。紀藤です。

昨日は3件のアポイント。
また、夜は大学院の仲間とのお食事会。

コミュニティに参加をすることで
繋がりが増えること、嬉しい限りです。



さて、本日のお話です。

今日は先日から続けてまいりました、

『サビカス キャリア構成理論
四つの〈物語〉で学ぶキャリアの形成と発達』

マーク・L・サビカス (著),


の最後の物語です。

今日のお話は「漂う人」。

幼少期に、家庭を安全な場所として
経験することができなかった結果、
”アイデンティティ拡散”となったフレッドの物語です。

いかに幼少期の環境が重要なのか、、、
その事を考えさせられるお話です。

それでは、まいりましょう!

タイトルは

【『サビカスのキャリア構成理論』を読む  ー「漂う人の不安」フレッドの軌跡】

それでは、どうぞ。

■章の冒頭に、

『人間の発達を促す「庭」のたとえ』

が書かれていました。

以下、引用いたします。

(ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あるとき、
コールリッジ家(詩人)を訪ねた人が、

「親は子供に完全な自由を与えて潜在能力を
十分に伸ばすべきだ」

と主張しました。

コールリッジは反論せずに、
訪問者を荒れ果てた庭に案内しました。

訪問者が
「なぜこの庭には雑草が生い茂っているのか?」
と質問した時、コールリッジは次のように言いました。

「見ての通り、私は庭の自由を奪いたくなかったんだ。
庭に自分自身を表現し、
自分の産物を選ぶ機会を与えたのだよ」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここまで)

■そしてこのたとえを、本章では

「子ども自身に自由に発達を委ねると、
子どもは十分に可能性を発揮することはできない」

そして、

「子どもは”成長を促す環境”が必要であり、
それが、”両親から学ぶ信頼”である」

という教訓へと繋げています。

■では、子どもが

親から自由という名の無関心、
優しさという名の放任で関わった時

その人はどのようなキャリア発達となり
どのようなキャリアを歩むのでしょうか?

生得的な能力を始め
いくつかの要因が影響する中で、今回の物語では

幼少期の経験が、大人になってからも
繰り返される象徴的なお話となっています。



それでは、フレッドの軌跡を
本書より見てみましょう。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<漂う人の不安 ーフレッドのライフポートレート>

◯家庭

・フレッドが生まれた時、彼の父親は50歳近くであった。

・父親は楽な人生が送れずに、年老いていた。
そしてすべてのことにうんざりしていた。

・フレッドの母親は、そんな父を哀れに思い、結婚したようであった。
しかし、その結婚生活は思っていたことと違っていた。
夫の決定に従う立場を取っていた。

・両親ともに貧乏であった。
そのため、どちらも常に働き続けなければならなかった。

・そのため、母と一緒に何かをしたことがなく、
母は、家事をするときも集中できないと
自分を外に追い出していた。

・自分が大事なことをいったときにも
まるで聞いていないように誰かに話しかけていた。
3歳のときもそうだったので、母は、私が生きていることに
気づいていないんじゃないかと心配になった。

・両親は、息子の現在のことにも将来のことにも、
関心をもってくれなかった。

・両親は、私と姉の言いなりだった。
母は働き詰めで、子どもの世話をする時間がなかった。
そのため、姉に育ててもらっていたような感覚だった。

・そんな姉が16歳で中退し、1年後に結婚し、家を離れた。
そのときに「信頼できる人間から捨てられた」という感覚を初めて体験した。

◯キャリア発達

・フレッドは、他の人と付き合うことに慣れていなかった。

・小学校時代はストレスの連続だった。
勉強が苦手だというのが一番顕著なストレスだった。

・異性に特別な憧れを抱くと同時に、恐怖も感じていた。

・家では裸が禁止されており、
母は性について話すことを決して許さなかった。

男女に違いがあることに漠然と気づいていたが、
40歳になるまで多くのことが謎のままだった。

・女の子と付き合うことへの気まずさや、
友達より体が小さいことへの引け目は、
フレッドの教室での活動にも影響していた。

数学で良い成績を出すことができず
両親も教えることができなかったので、
小学4年のときに、教師が「ドジ」という名をつけて、
クラスの皆にそう呼ばせていた。

◯キャリア探索

・高校時代、フレッドは数学の成績がずっと振るわず、
科学も嫌いであった。歴史とビジネスの成績はましだった。
英語は好きであった。

・英語の詩に魅了されたが、
勉強をもっと一生懸命しようというほどの刺激にはならなかった。

・ある高校教師は、クラスの討論にフレッドを入れることなく、
距離をおき、威圧的であった。

・タイピングは得意であった。その理由は
「先生がフレンドリーで、生徒に話しかけてくれたから」

・フレッドは高校卒業のための最終試験に不合格となった。

・フレッドの成績が悪かった理由の一つが、
叔父の農産物スタンドでアルバイトをしていたからだった。

中学1年から、夏休みの間はずっとフルタイムで、
高校の最後の2年間は、放課後と週末にパートタイムで働いた。

長時間労働の割に稼ぎが少なかったが、母親は、
定期的な仕事があることを喜び、多く稼げる仕事を勧めることはしなかった。

・母親は仕事につくことの重要性と、稼いだお金の大切さを強調したが、
フレッド自身が向上することを望ます、毎日働ける場所があればよかったようだった。
母の望みをかなえるため、フレッドはそうして叔父の元で働く毎日となった。

・後に振り返って、人生の転機としてこのことを語る。
「近所の悪い仲間から離れて、孤立した市場(アルバイト先)に働きにでかけたときが転機だった。
それがなければ、近所の女の子と関係を持つ機会があったかもしれない」

・フレッドは市場で働いていた女性と深い関係になった。
深い関係をもったから、結婚の義務があると感じ、18歳で結婚した。
21歳で離婚した。

◯キャリア確立

・21歳のときに離婚をした。

・その際に臨時雇いで生計を繋いだ。
地元の工場で働くようになった。

・新しい仕事は、スキルが必要というより、
同じことを反復する仕事だとわかり、また退屈な仕事だとわかり
フレッドは、大いに安堵した。

・その際に、2番目の妻と出会った。
彼女は2人の子供を持っていて結婚していたが関係を持ち、
その後、離婚をし、フレッドと結婚をした。

・そして3人の子供ができた。そのとき24歳であった。
家庭を養う必要があるため、工場の仕事の他に、警備員として働いた。

・29歳では、アルツハイマー病棟で
個別ケアをする介護士としても働き始めた。
夜も仕事があるため、朝に映画館の仕事をするパートを始めた。

・フレッドはほとんど家にいなかった。
それにより結婚生活が悪化していった。
妻に家から追い出されたが、いくところがなく自殺を考えた。

州立病院に3週間入院し、
5年間の精神科の治療を受けた。

・常に恥ずかしがり屋で、権威ある人と衝突すると
口が聞けなくなっていた。

・フレッドはいつも悲観的で、最悪の事態を想定していた。
集団の中でいつも緊張し、自分の順番が来るのを恐れていた。

・40歳のときに、ようやく自分の人生の主要な課題、
「性的および、攻撃衝動」にどう対処するかについて主張するようになった。

・明るい将来をイメージできるようになり、
他の人々との関係と、性に関する感情に慣れてきた。

・仕事では、他者とのつながり経験は、
父親との関係で持てなかった共感を得る機会になった。

◯キャリアマネジメント

・残念なことに、59際のときにフレッドは、
「自分の状況が子供時代の父親の再現である」ことに気づいた。

・いつも落胆していて、生きる屍のように耐えることしかできなかった父親の像が
彼の記憶から拭い去ることはできなかった。

・しかし、彼は認知症患者のケアという仕事に出会い、
”恵まれない人への愛情”を伝えられるようになった。
彼は自分を褒めるために、この仕事にとどまっていた。

・不幸な人に向けられた並外れた思いやりの能力があった。

・フレッドの自信のなさは、女性との関係で顕著に現れ、
拒絶されることへの恐怖で身動きが取れなくなることがあった。

・また他者からの賞賛というボールを
断固として受け取らず、追い払っていた。
いかに自分の良いところを信じていないか、他者の肯定的な称賛を同意しないか、
彼の確固たる信念になっていた。

・彼は、他者が自分を高く評価し、
自分が完全に受け入れられている世界を理解することができなかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)

■ライフポートレートの解説を読むと、
以下のように説明がされます。

***

<フレッドのライフポートレートを読み解く>

・フレッドの家庭環境が安全な場所でなかったこと、
世界が安全な場所であると彼自信が信じられないことから

”進歩することではなく、
自分の基盤を固めるための探求を繰り返し続ける”

という様子が見える。

・そして、

”子供時代に経験したこと(存在を認められていない)が
大人になってもそのまま再現されている(称賛を受け入れない)”

ようになっている

・褒められた経験をしたことがなかったので
そうしたときに、いつも困惑したり不快になったりして、
過去の絶対的なものに縛られて生きることになっていた。



・また、フレッドは、

幼少期に獲得する
心理社会的発達モデル(エリクソン)の

”基本的信頼対不信の危機”

を残念ながら乗り越えることができなかった。

・結果、

「恐怖・無秩序愛着スキーマ」
(=両親と安定したつながりがないため、
人に対する回避と不安が高い状態)

となり、

恐怖・絶望・屈辱・恥、
見捨てられた感覚がトラウマとなって
定期的に襲ってきて、苦しんでいた。



・そして、その彼の状態は、
キャリアにおけるアダプタビリティ(適応すること)の資源を
発達させることを困難にした。すなわち

・将来についての関心
・欲求を抑えるコントロール
・環境が与える刺激に対する興味
・計画を改善する自信

などを発達させることができなかった。

・日常で傷つかないことを選択し
「成り行きに任せた生き方」をすることになった。



・さらに、彼のこの状態は

「アイデンティティの拡散」
と呼ばれる状態だった。

・安心して世界に冒険ができず
恐れから自尊心を守ることを優先し、
(自分は何者か?の探索が進まず)
アイデンティティの形成ができなかった。

アイデンティティの拡散的な生き方の特徴には、

・迷子感
・方向性の欠如
・情緒不安定
・空虚感
・無意味
・低い自己受容
・自分の居場所への不満、弱いコミットメント

などとされており、
フレッドにはその様子が現れていた。

・しかし、フレッドは
最終的にケアをする介護士として
職業生活に表面上は適応することができた。

仕事を通じて”恵まれない人に愛情を注ぐこと”それは

「内的に欠如しているものを
外的に供給する特徴的な背景」

とされており、
彼の中の足りない部分を補っていると見られる。

***

■、、、とのこと。

フレッドの物語の中で

”残念ながら”という言葉が
いくつか書かれていたのが印象に残りました。

正直、フレッドが
悪いことをしたわけではないのです。

ただ、まさに冒頭の「庭」の話ように、
彼の出自が成長を促す環境ではなかったこと、

また彼の生得的な気質に加えて、
勉強で向上させることへの両親の無関心さから、
勉強も難しくなっていった結果、

・恐怖―回避愛着スキーマ
・アダプタビリティの未発達
・アイデンティティの拡散

となったエピソードが見えました。

■こうした背景を知ると、

”キャリアは自己責任である”
”キャリア自律が大事”

と、簡単に言えないようにも感じられます。

その人の生まれ育った
多くの複雑な要素がからまって
「今」という場所にいる。

そうした宿命のようなものも感じつつ、
それでも探索をする中で、

フレッドであれば

”介護士として愛情を注ぐ”

という場所に落ち着いていくことから
その人なりのテーマを追求することは可能である
とも言えるのかも知れません。

それぞれの道のりがキャリアであり、
それぞれの道を歩むことを尊いものと思いたい、

そんなことを感じさせられた物語でした。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

受容とは、ただ、あるものをあるがままに見て、
「こういうものなんだ」と言うことです。

何が進行しているのかを見てとって、
「こういうことが進行しているのだ」と言うことです。

何が起きているのかを見て、
「こういうことが起きているのだ」と言うことです。

ジョン・ロジャー&ピーター・マクウィリアムズ
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