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4271号 2025年11月4日

サツマイモは、成長の副産物である。売上は、学びの副産物である。

(本日のお話 1534字/読了時間2分)

■こんにちは。紀藤です。

なんだかんだ仕事が立て込み、あわあわと日々が過ぎておりますが、気づけばすっかり「収穫の秋」ですね。

東京都内で暮らしていると、収穫を感じる機会といえば、道端に落ちているあの独特な匂いの銀杏を拾って家で調理するくらい。しかし先日、茨城の実家に帰省し、義父と息子たちと一緒に「サツマイモ掘り」をしてきました。

そのときに聞いたサツマイモの話が、全く関係ないようでいて、キャリアの話に妙につながりました。今日はそんな話を、ゆるく書いてみたいと思います。それでは、どうぞ。

■サツマイモは、成長の副産物である

2ヶ月ぶりに茨城の実家に行くと、庭が一面、大きな緑の葉っぱで覆われていました。

妻と顔を見合わせて、「あれ、こんなにもじゃもじゃしてたっけ?」と驚いていたところ、義父に聞いてみました。

「この葉っぱ、どうしたんですか?」

すると義父は、答えます。

「サツマイモの葉っぱだよ。サツマイモを植えておくと、夏場に葉っぱが生い茂って、その下に雑草が生えなくなるんだ。だから雑草抜きをしなくて済むんだよ」

と教えてくれました。そして続けて、こう言いました。

「サツマイモのイモ部分ってのは、もともと“成長の副産物”みたいなもんなんだよ」。

なるほどなぁ、と思いながら、みんなで伸びたツルや葉っぱを片付けていくと、確かに雑草ひとつなく、ふかふかに耕された土が顔を出しました。

そしてその下には、ラグビーボールのように太った芋がいくつも連なっていました。

■成果は、学びの副産物である

話は変わって、人材開発や組織開発に関する定例のオンラインミーティングでのこと。

大学院の仲間を含めた近況報告会を3ヶ月に1度ほど開いているのですが、その中でこんな話が出ました。

「いろんなことに興味があって学んでばかりいると、自分が何者なのか分からなくなることがあるよね。でもまぁ、仕事に繋がってるから、それはそれでいいのかな」。

人によるとは思いますが、「学ぶことそのもの」が面白く、成長感を感じることは多いものです。学びとは、必ずしも座学に限らず、新しい技術やスキルを身につけたり、未知の経験を重ねたりする中でも起こります。

そして、その経験そのものが楽しいから、「これを学んでどうするか」という明確な目的がなくても続けられる。けれど不思議なことに、その学びを実践していくと、結果的に仕事になったり、売上につながったりすることがある。

そう考えると、「仕事や成果とは、学びの副産物である」とも言えるのではないか。そんな話をしていたとき、ふとサツマイモの話を思い出したのでした。

■まとめ:成長の副産物としての成果

私たちはつい「その目的は何か」「どんな成果が得られるか」という“アウトプット思考”で物事を捉えがちです。確かに、何かを得るために何かをする、というのはわかりやすい構図です。

しかし、それだけが正解ではありません。

「自分が学びたい」「成長してみたい」という純粋な好奇心や探究心を追う中で、その“副産物”として成果が生まれることもある。

学びというのは往々にして中長期的な投資であり、その瞬間に意味が分からないことも多いものです。けれど、後になって蓄積が体系的につながり、他の領域と結びついたとき、思いもよらないアイデアやビジネスチャンスが生まれることも、あるものです。

だからこそ、「これを学んだところで何の役に立つのか」と予測できないからといって、学びを避けるのはもったいない。そんなことを思うのでした。

サツマイモのように、成長の結果として“思いがけない実り”が生まれる。
そう思うと、学びや成長を追うことそのものの価値を、改めて感じた次第です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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