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1940号 2019年6月11日

「自分には価値がない」と思うことを、”◯◯◯”と呼ぶ

(本日のお話 2247字/読了時間2分半)


■おはようございます。紀藤です。

昨日は、「7つの習慣」研修の実施。
ならびに、夜は「ストレングス・ファインダー」の研修準備でした。

これから、たくさんの研修を実施する機会がありますが、
かなり楽しみです。

誰かに伝えることは、何より一番、
自分自身の学びになっていると感じます。

実践が一番の学びです。



さて、早速ですが本日のお話です。

完全にプライベートの話なのですが、
先日、妻がなぜだか落ち込んでいました。

そして理由を聞くと、

「色々、我慢して疲れた」

というのです。

ちなみに、私が原因では(おそらく)ありません。

その妻の話を聞き中、色々と話した上で、
どうやら妻の心に響く話があったようなので、

もしかすると皆さまにも参考になるのではないかと思い、
本人の許可の元、ご共有させていただきたいと思います。


タイトルは、


【「自分には価値がない」と思うことを、”◯◯◯”と呼ぶ】


それでは、どうぞ。



■優しさゆえに、我慢してしまう人がいます。

相手に気を遣うがゆえ、
自分の意見を後回しにして、
そして控えめでいようとすることがあります。

衝突を嫌うがゆえ、気持ちを、
ぐっと押し留めることがあります。

、、、

もちろんそういう人や行為が、
組織もチームも潤滑油のような役割を果たし、

周りを居心地よくしてくれたり、
物事を前に進めてくれたりもするため、

「調和の気持ちあふれる行為」

とも言えるのでしょう。


…しかし、一方。

その優しさや気遣いが行き過ぎると、
時に、ポジティブな結果だけではなくなるようです。


それは、

「特に本人にとって」

なのでしょう。


■先日、妻がなんとなく落ち込んでおり、
その聞いてみると、平たくいえば、

「自分の意見が言えない」
 ↓
「自分の意見に自信が持てない」
 ↓
「なぜ他の人は、そう強く意見を言えるのか」
 ↓
「自分の軸とは一体なんなのか?」

そんな思考のループに陥っている様子でした。


言いたいことはある。
(多分、私に対しても)

しかし、「自信がない」ゆえになかなか話せない。

そして、その「自信がない」を深掘りすると、
どうやら本人曰く、


『自分のことを大切にしていない』
(=「自分に価値がある」と感じていない)


というところに行き着くのでした。



■おそらく、これは妻だけではなく、
あらゆる人も同じことが言えるのですが、

常に自分の意見を抑えていると、
言いたいけど言えない思いが鬱屈としています。

そのモヤモヤはただ”押し留めて”おり、
表面に、現れていないだけ。
消えたわけではないのです。

するとやがて、爆発の危機を迎えます。


ゆえに、気持ちが落ち込んだりすると、

自分の意見なんて大したことないし、
自分が我慢すればうまくまとまるし、という気持ちが、


「なんか不満。悲しくなってきた」


というように、モヤモヤが実体を持ち始め、
顔を覗かせるようになるのです。


■そして、その状態のことを見た時に、
ふと思い出す言葉がありました。

それは、『7つの習慣』の、
「第4の習慣 Win-Winを考える」において書かれている言葉、


【LoseーWin】


と呼ぶものでした。

私はLose。相手はWin。

私が我慢して負けていれば、周りが勝つ。
私は平和主義だから、それでいいの。
どうぞ私を踏み出しにしてください。

でも、それでいいんです。

そんな精神のことを、

【LoseーWin】

と呼びます。

自己犠牲の精神とも言えるでしょう。


この考えの(少し厄介な)ポイントは、
「ちょっといい人に見える」ということ。

悪いことをしているとは、パッと見、思えないのです。


ゆえに、妻もいじけた気持ちになると

「相手の意見を尊重しているのに、なぜいけないのか?」

的な感覚を持ち、そしてループから抜けられなくなるのでした。




■どうやら妻がその考えにハマっているようだったので、
『7つの習慣』の書籍を指し示し、
おもむろに「第4の習慣 Win-Winを考える」と言ってみました。

すると、素直にも妻は読み始め、
そして「ある一文」を見て、うなだれていたのでした。


そのページとは、



【誠実さとは、「自分自身に価値を置くことである」】



という事が書かれているページでした。


言い換えれば、

『「自分の意見なんて価値がない」といじけることは、”不誠実”である』

このことを、書籍を通じて突きつけられ、
ハッとしていたようなのでした。



■敢えて言ってしまうと、

「自分なんて、、、」という気持ちは、
謙虚のように見せかけた、


「ただの不誠実さ」


なのかもしれないのです。

ここからは私の意見になりますが、
きっと、本当に「誠実な人」は、

・自分に価値を置き、
・そして自らを高め、
・自分なんて、と言わずに誰かの役に立とうとする

のだと思います。


自分に価値を見出さず、いじけて、
小さくまとまっていることは、

常に「自分なんて」という言い訳を携えた、
”守りの姿勢”や”向き合うこと”を恐れているだけかもしれない、

…そんなことを思ったのでした。



■「皆さんに合わせます」

というのは、”和”を重んじた行為に見えます。

そのことに対して、
目くじらを立てて怒る人はいないでしょう。

しかし、意見を抑えて迎合する行動の背景には、
色々な想いが含まれているもの。

そしてそれがもし、


”「不誠実」と命名されうるモノ”
(=自分のことに価値を置かないがゆえの言動)


であれば、

それは自分を振り返り、
考えてみる必要があるのかもしれません。


【「自分には価値がない」と思うことを、”不誠実”と呼ぶ】


そんな考えも、あるのです。

ゆえに、自分の「言動」の根本は何なのか。
そんな”問い”を持つことで、自分の考えや物の見方を、
客観的に見つめ、調整することができるのかもしれない、

妻の嘆きから、そんなことを感じた次第です。


最後までお読みいただきありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日になりますように。

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<本日の名言>


理不尽な上司や学校の先生に無理矢理認めてもらう必要はない。
市場価値の高い人になればいい。
より大きな共同体で考えればいいのだ。

アルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医)
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