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4344号 2026年1月16日

「何を理解されているのか」 その一文で、心がザワついた

(本日のお話 1823字/読了時間2分)

■こんにちは。紀藤です。

最近はぐっと執筆にフォーカスをしているこの頃ですが、その中で思うのが「文体」が与えるインパクトです。

同じことでも、その書き方が違うだけで、相手の感情に与える影響がだいぶ違ってくる。その点を改めて留意することが大事だな…、最近そんなことを強く感じさせられる出来事がありました。

今日はそんなお話を書いてみたいと思います。
個人的にモヤモヤした話も含みますが、ネタとしてお読みくだされば幸いです。

それでは、どうぞ。

■「何を理解されているのか」という言葉

先日、こんな出来事がありました。私が関わりを持っているとある機関より、「私の発信に懸念がある」というメッセージをふいにいただくことがありました。
そして、それをもらった瞬間、「心がザワつく」という印象を受けたのです。

内容としては指摘は最もなところがある論理的に納得する点と併せて、締めの一言のような場所に、

-------------------------
「何を理解されているのでしょうか。…にもかかわらず。」
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いうような文が含まれていた、というような内容です。

その際に私の心が反応したこと。それは文章自体の論理の良し悪しより「文体・言い回しそのもの」でした。

文体が「かなり強い」と感じ、同時に「高圧的、威圧的である」という感覚を受けて、同時に「その文章全体の内容が受け入れがたく感じてしまった」ということでした。

■「立場批判」に感じられると受け入れづらい

ちなみに「フィードバックの内容そのものは、真摯に受け止める必要があるもの」でした。
ゆえに、学びと気付きの機会をいただいた、という意味ではありがたくも感じました。

ただし、重要なのが、意図してかせずかわからずとも、「何を理解されているのか」という言葉が入ることで、内容批判ではなく「立場批判」のようなものを感じてしまった。
そうすると、DoingではなくBeingに矢印を向けられたように感じ、急激に心が閉じる感覚がしてしまった…、

というのが自分の中に起こった率直な感情だったのでした。(私の未熟さも大いにあるかと思います)

■チャッピーに相談をしてみたら整理できた

このモヤモヤの分析を、もう少し探求してみたいと思い、GeminiとChatGPT(チャッピー)にそれぞれ相談してみることにしました。
対話内容としては、こうした内容です。

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相談内容「今回、こうしたメッセージを頂きました。内容は理解できるところもあるものの、書き方が横柄のように感じ、気持ちの整理がつきません」
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と、その文面を入れて相談をしてみました。

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ChatGPT
「読んでいて、かなり胸がザワつくタイプの文面ですね。
内容として「修正してほしい点」は列挙されている一方、語り口が“指導・叱責”モードで、受け取り手としては尊重されていない感じが出やすい。
まず、その違和感自体は自然だと思います」
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もう、当たり前のように整理と共感をしてくれます。
(こういう一文は、見習うところがありますね)

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ChatGPT
「そのうえで、気持ちの整理と実務対応を切り分けると、判断がラクになります。ポイントは大きく3つです。

1) この内容は「攻撃」より「リスク管理」と捉えると整理しやすい
2) “直すべき論点”と“納得できない物言い”を分けて扱う
3) 安全かつ、かつ“自分の尊厳”も守れる対応をする

(中略)

その「言い返したい気持ち」はどう扱うか。ここが一番大事です。
抑え込む必要はありません。向きを変えればいい。
方法1:心の中では、きちんと“名前をつける”

・権威主義的コミュニケーション
・パターナリズム
・学習段階を盾にした発言抑制

だ、と自分の中で言語化する。(つづく)
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とのことでした。

もちろん、ChatGPTは、「私の味方になっている」ため、参考程度にすべきもの.相手の立場からすれば、もっと別の回答になるはずです。
しかし、こうして言葉にしてもらえると、だいぶスッキリします。

ただ、なるほど、と思ったのが、今回のやりとりの解釈です。
平たく言えば、「攻撃的と捉えられるものは、守りたいものがある」こと。それは、その個人・組織のアイデンティティでもあるとも考えられる、という話です。

「受け入れがたい」「距離をとりたい」と思ったとき、そこには自分の価値観・こだわりと、相手の価値観・こだわりとの違いのぶつかりあいである事も少なくありません。
たとえば、今回で言えば、ある程度の自由度を持って伝えていきたい私と、鉄の掟としての”純血”を守りたい組織。

その価値観そのものに良し悪しはない。しかし、そこには「パワーの非対称性」ある。ルールを作る側と守る側というパワー。
判断する側・判断される側というパワ―。ここが異なってくるので、その文脈の上に「正義」が生まれる。

「判断される側」は、一部違うと思ってもそのパワーの非対称性から、反論をしても得るものがありません。
よって、合理的に口を閉ざす。そうすると、「判断する側」の純血は更に高まっていく可能性もある。

そして、もしかすると、権威的な文化というのは、こうして形作られていくのではないだろうか…、そんなことも感じたのでした。(という感想です)

■まとめ:「言葉を丁寧に扱う」事は大事

…と、個人的な話にちょっと心がザワついた話を紐解くことで、
「文体のインパクト」「態度批判に見える言い方は受け入れづらい」「言いたいけど言わないでおく理由」など、考える良い機会をいただきました。

言葉は、数文字の組み合わせでも強いインパクトを残すもの。

だからこそ、特に記録に残るメッセージでは「扱う言葉が、時に強いインパクトを与える」という自覚を持つこと。

自分のこだわりに触れる部分であるときこそ、特に気をつけていきたいものだ、自戒を込めてそんなことを思った次第です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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