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3479号 2023年9月2日

じいちゃんのお葬式

(本日のお話 2219字/読了時間3分)

■こんにちは。紀藤です。

昨日より宮崎に来ております。

祖父が亡くなったため、
お通夜とお葬式で急遽沖縄へ行く予定から、
宮崎へ変更してまいりました。



祖父は96歳にて、
老衰にて亡くなりましたが、
大往生であったと思います。

今日は個人的な話ではありますが
祖父への感謝の意も込めて
思うところを書いてみたいと思いました。

(繰り返しになりますがごく個人的な話なので、
不要な方は、お読み飛ばしくださいませ)

■宮崎の市街地に、かつて

『四海楼(しかいろう)』

という中華料理店がありました。

宮崎の橘通りと呼ばれる
中心街を少し入ったところにある
赤い四階建てのビル。

特にバブル期頃は
大変な賑わいを見せていました。

■平成に入ってからも
「メニューの値段は変えない」という
祖父の意思の元、

ラーメン 150円
焼きそば 150円
チャーハン 250円

という挑戦的な価格で
ほぼ利益は出ていなかったと思います。
(ライス大のほうが高い、苦笑)

私の大学は九州でしたが、
宮崎出身の同世代の人からは

「あの100円ラーメンの店の
お孫さんなのだ!?」

と図らずも注目され、
なんだか誇らしく思ったものです。

インターネットの記事では
「宮崎のソウルフード」などなど
書かれている記事も未だに見つかります。

■そんな祖父は、
その四海楼を一代で築き、
お店を切り盛りしていました。

忙しい中で、厨房の白いコック姿か
あるいはTシャツの姿を覚えています。

口数は少ないながらユーモアがある人でした。

特に、子供の心を掴むのが得意でした。

小学生の頃には、
お小遣いを5000円札ではなく、
100円玉で大量にくれたり(嬉しいんですね)

当時流行っていた『ビックリマンチョコ』を
箱買いで自宅に送ってくれたり、(大興奮でした)

突如、ファミコンの本体と、
ゲームソフトを大量に買ってくれたりと、

物心付いたころから「じいちゃん最高!」と
心に刻まれていたものでした。

■大学時代に、
大学の友人や後輩を連れて
四海楼に遊びにいきました。

その頃にはだいぶ街自体が
当時の活気は少なくなっており、
店のお客さんもほぼいませんでしたが、

遊びに来た私の友人たちに

大量のビーフンと、
ゆでたまご50個以上(!)
そしてバナナを1箱(!!)

とインパクトがありすぎるお土産を
明け方に渡してくれました。

折角の機会だから、
と祖父の昔話でも聞こうと思ったのですが

「友達と話しておいで」と祖父は語り、
しっかり話をすることはありませんでした。

■そして、平成18年(2006年)、
祖父は脳梗塞で倒れました。

麻痺が残りましたが、その後も、
「新聞を書き写す」という行為を
やめることはありませんでした。

思えば昔から

毎日お風呂場で体操をする
乾布摩擦をする、
コツコツと物を書く

という行為を続けていた姿が印象に残っています。

祖父の娘である母からは

閉店をした際に
従業員に対して自腹で退職金を支払った
というエピソードを聞いたり

じいちゃんは義理がたい人であること、
ゆえにお金とか困っている人に貸して返ってこないこともあった、

という話などを聞きました。

果たして自分が同じ立場だったとして
同じようにできるだろうか、
と思ったものでした。

■90歳を超えても、
新聞を書き写すことをやめませんでした。

今年の5月、まだ祖父が話せたときも
自宅で文字を書き続けていたことを覚えています。

かつ、旺盛な食欲で甘いものが好きで、
施設の人に止められているのに、
ケーキをいつも美味しそうに食べたり、

せんべいを懐に忍ばせたり
(結局施設で取り上げられる)
亡くなるちょっと前にも、飴を食べたがっていました。

芯が通っていて、
義理堅く、
コツコツと続ける、
どこか無邪気な祖父。

その姿に私が触れたのは、
祖父の60歳以降の人生の後半であり、

また実際に触れた時間や
語り合った時間の絶対量は多くなかったですが、
私に大いに影響を与えていました。

同世代の孫、従兄妹と話すときも、
「じいちゃんは偉大な人」と話をしており、
葬式の当日電話でも

「立派だよね。ああいう生き方を
自分たちはできるだろうか」

などと話が出ているほどでした。

■家族葬で、葬式の参列者は
こじんまりしたものではありましたが、

祖父の生き方というのは、
おそらく参列した人以外にも
彼と接点があった人々に
影響を与えているのだろうと思いました。

そして、影響を与えられた後に続く人が、
またその影響を元に生きて、息子や孫に、
彼の生き様の片鱗を渡していくのかもしれない、、、

そんなことも思ってしまいました。

■ある本で、こんなことが
書かれていたことを思い出しました。

以下、引用します。

”人間なら誰にでも、利益ばかりで害がなく、
後世に残すことができる「最大遺物(the Great Legacy)」がある。

それはなんであるかならば、
勇ましい高尚なる生涯であると思います。

(中略)

われわれに後世に残すものはなにもなくとも、
われわれの後世の人にこれぞいうと覚えられるべきものは何もなくとも、
あの人はこの世の中に生きているあいだは
真面目なる生涯を送った人であると言われるだけのことを後世に遺したいと思います”

(孫泰蔵『冒険の書』P331より)

なにかの本に繋げてし合うと、
薄くなってしまう気がして憚られるのですが、

祖父が残してくれたことは
まさにこういうことだな、と思いました。

■改めて、こうした遺産を与えてくれた祖父に
感謝を伝えたいと思いましたし、

誰にアピールすることもなく
こうした生き方ができるように、
自分もなりたいものだ、

そんなことを感じさせられた葬儀でした。

じいちゃん、素晴らしい生き様でした。

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<本日の名言>

人は死んでも、その人の影響は死ぬことはない
(Even if a person dies, the person's influence doesn't die)

マーティン・ルーサー・キング
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