変化することは、古い物語を終え、新しい物語を始めることである
(本日のお話 2145字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
沖縄に来ております。
昨日は2件のアポイントと書籍の執筆。
また、11kmのランニングなどでした。
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さて、本日のお話です。
先日、著書『カウンセリングとは何か』を読了しました。めちゃくちゃ良い本で、色々と感想はあるのですが、本書の中でも最も印象に残ったキーフレーズは、こちらです。
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「変化するということは、古い物語を終え、新しい物語を始めることである」
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この言葉を考えながら、コーチングの学びや、自分自身の過去にもつながることがあったので、今日はそのお話をしてみたいと思います。
■「思い込みのルーツ」は過去にある?
私は、とあるリーダーシップのアセスメント資格を保有しています。これはリーダーシップ(影響力)について知るためのツールですが、興味深いところは、それが成人発達理論という「人の発達」をベースにした理論に基づいていることです。
その中の考えとして、「人はさまざまな出来事や人、経験によって自分の思い込みが形作られていく」ことを述べています。
例えば極端な言い方をすると、自分が小さい頃、たくさんの兄弟に囲まれて「自分をアピールしなければ注目してもらえなかった」といった環境にいたような場合には、自分の思い込みとなり「自分を強く主張しなければいけない(そうしないと生きていけない)」と無意識に刷り込まれている、みたいなイメージです。(あくまでも例です)
例えば私の場合、もともとの気質もあったと思うのですが、幼少期や少年期に「対立しそうな人と仲良くする」という方策をとってきたゆえに、誰かとすぐ融和施策を取ろうとします。逆に、戦ったり対立することは失敗体験が多すぎて、極めて苦手な傾向があります。
ただし、こういったことは自分でも気づかない奥の奥にあったりするので、認識し、それを調整するのが厄介だったりするものです。
■生い立ちは「ネチネチ聞いてください」
さて、先程のアセスメントの中で、そうした過去の思い込みを聞くのですが、その中で言われたことの一つが「その人に影響を与えた人物は、ネチネチ聞くのもよい」というような話を学びました。
⋯というのも、人は多くの場面で自己紹介をします。特にリーダー的なポジションにいる人ほど、自分を語る場面は少なくありません。
そうすると、自分のことを話すとき「いつも使っている受けの良い自分の物語」を何度も何度も使ってしまうことがあります。そうすると、本来その人の人生には他の側面もあったはずなのに、「何度も語ることで、自分の物語が自分に刷り込まれていく」ことが起こるそうです。
その結果、語っている内容以外の記憶が薄れたり、書き換えられてしまったりして、本当に隠れている思い込みに気づけなくなる。
だからこそ、あるアセスメントツールでは「その人の生い立ちを、その人が気づいていないところが出るまでねちねちと聞くと、気づいていないことに気づくきっかけにもなる」と述べていたことが非常に印象的でした。
余談ですが、SNSのXなどでも、短いプロフィール文の中に「自分がどう見られたいか」という物語が組み込まれています。それはマーケティングツールとしての自分の物語がたりで人を惹きつけますが、一方、語れば語るほど、その物語が「自分を閉じ込めてしまう」側面もあるように思われます。
■新しい物語を始めるために、古い物語を手放す
その時に、自分自身のことを振り返ってみました。
私は確か20代前半まではあまり「人生楽しかった」という経験が多くなかった記憶があります。ゆえに、「20代前半まではいろいろなトラブルがあった。楽しくなかった。でもそこから頑張っていまなんとか楽しくやっている」的なお話を、自分の物語として語ってきた印象です。
ただ、それを自分のプロフィールとして何度も何度も語っている中で、ふと、その頃の友人に会うことがありました。すると「そのときも楽しそうだったよ」と言われたりして、自分が覚えていた記憶とは別の側面を見せられることがあったのです。
そうすると、「自分が形作ってきた物語は、本当に自分のすべてだったのだろうか?」と思う。
つまり私は、今の自分に至るための物語を創作し、それを語り続けるうちに、それが本当だと思い込むようになっていた。言い換えれば「その創作した古い物語に縛られていた」とも解釈できる。
その物語は、自分を鼓舞することに役立っています。その思い込みは次のようなものです。「常に努力が必要だ」「成長が必要だ」「目標に向かって走り続けるのがよい」といったメッセージです。社会から求められ、自分の一部となった思い込みであり、物語です。思えば、かつての私は何か目標を掲げて走るタイプではなかった気もしますが、いつからかそうなっていた。
それは自分を確かに成長させています。しかし、それが周囲の人(例えば家族などに過度なプレッシャーを与えている)に良い影響を与えないこともある、とも気づきます。
■まとめ
もしかすると、どこかで手に入れて組み込んだ自分の物語にとらわれている、とも言えるのではないか。著書『カウンセリングとは何か』を読みながら、そんなことを思ったのでした。
「もっと違う可能性があるのではないか」と思う時は、自分がとらわれている「自分の物語」を見つめ直してみること。そのために、自分の生い立ちを改めて振り返ってみることも有効なのではないか――そんなことを思った次第です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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