思い出にのこる年末年始は「没頭できた体験」でつくられる
(本日のお話 1534文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
年末年始休暇に入り、クライアント先がお休みになったことから、研修などの仕事が一旦落ちついているこの頃。
そして、そんな中、第二の実家の宮崎(祖父母の家)に、私の家族(妻と息子)、父母、姉と子どもたちが勢揃いして、ゆったりと過ごしております。
…と、「ゆったり」と言いつつ、ひたすら書籍の原稿を書いたり、そのために生成AIと対話したり、論文を読んだりして、黙々と作業をしているわけですが、ふと立ち止まった時に「実に充実した時間だなあ…」と噛み締めるのでした。
年末年始とは、色々な過ごし方があると思うのですが、今日は自分なりの「充実した年末年始の過ごし方」について語ってみたいなと思います。
それでは、どうぞ。
■「こたつでみかん」も幸せだが、「パソコンで執筆」も悪くない
人の集中力というのは、陽炎のように儚いものです。
「集中しはじめてきたぞー!」という時に、ピロリン!とメールが届いて、それに急ぎ対応をしないといけない、と思うと、一気に集中モードが解除されてしまいます。そして、平日の仕事というのは、基本そういうもの。
ゆえに、まとまって集中ができるときは「朝」や「夜」である、というのもなんとなくわかる気もします。
そんな中で、1年のゴールデン・タイムとでも言えるものが「長期休暇」です。「皆が(多くの人が)お休みである」というのが、また良い。1週間くらいは完全に、前後でもずらして有給を取る人もいるので、お休みに入る前と開けた後を含めた2週間くらいは、なんとなくゆっくりになる感覚もあります。
そして、その2週間の間は、「ひたすら一つのことに集中できる」というのが、実に贅沢な時間でもあるなあ、と思います。
「こたつでみかん」も幸せを感じますが、ずっとそれだと腰も痛くなるし、体も膨れ上がります。「パソコンで執筆」を没頭するのも、これはこれで充実していることだなあ、と感じております。
■「これをやった感」が思い出と武器になる
個人的な話ですが、起業してから8年間。今までの年末年始で、最も記憶に残っている(充実していた)のが、2018年の年末、2022年の年末でした。
2018年は、起業した直後で、年明けにある「リベラルアーツの研修コンテンツをひたすらつくっていた」のを覚えています。
歴史書を読んだり、日本アスペン研究所の研修での古典の学びを振り返ったりして、ひたすら研修プログラムを作成していました。
ただ、そのプロセスの中で、「歴史について体系的に学びが深まった感覚」が手に入って、それが実に幸せだったことを覚えています。
2022年は、大学院の修論に相当するプロジェクト計画書を書く上で、ジョナサンに入り浸って書いていた記憶があります。締切が迫らないと火がつかないという社会人らしからぬ計画性のなさで、追い込まれながらも書き上げていったあの感覚。なんだかアドレナリンが出て「しんどかったけど楽しかった」という記憶があります。
思えば、「なんとなく過ごす」よりも「なにかに没頭する」という時間の過ごし方のほうが「思い出」にも残るし、ブートキャンプのように、その経験が「武器になる」とも感じるのです。
■まとめ:今年も没頭したい
そして、2025年の今年の年末は「書籍の執筆」という目標に向かって、没頭して時間を取ることができています。
東京の狭い家ではなく、宮崎の広い家で過ごすこと。
父母姉の家族と過ごすこと、息子もゆったり過ごしてくれています(たぶん)。
こうした時間を取れていることを感謝しつつ、今年も思い出に残る年末年始にしたいな、そんなことを思っている次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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