身に病があろうとも、心まで病ますまい
(本日のお話 2470文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日日曜日は朝から相模原でテニス。
そして昼過ぎには真逆の千葉にて、
「サムライ塾」の集まりで深夜までひたすら語らっておりました。
ばたばたと活動していたところ、
若干、風邪の予兆がありますが(汗)
今晩中に、風邪菌を制圧したいと思います。
*
さて、本日のお話です。
体調不良気味になって思うこと。
それは、よく言われる
「病は気から」、
この言葉はやっぱり真実なのだろう、
ということ。
と、いうより、正しく言えば、
「体調が悪いのは事実。
でも、気の持ちようで、辛さは変わる」
のではないか、とも思うのです。
(あくまで、風邪やその延長の話です)
今日は、そんな「病は気から」に関連する、
とある私の経験談を、ご共有させていただきつつ、
思うところをご共有させて頂きたいと思います。
タイトルは、
【身に病があろうとも、心まで病ますまい】。
それでは、どうぞ。
■約10年前の話。
私が20代半ばの頃の話です。
私の中で、ある大ブームがありました。
それが、「中村天風氏」の存在に出会い、
その思想にハマりにハマっていた、という話。
中村天風氏は、
松下幸之助、稲盛和夫、山本五十六など、
今の日本の礎を築いた著名な人々が師事してきた人物。
1900年前半、第一次世界大戦頃から、
軍事探偵(人斬り天風と恐れられた)になり、→
不治の病にかかる→
世界中を旅して治療法を探す→
ヨガの伝道者と出会い、悟りを開く(病が治る)→
日本に戻って、某銀行の頭取になる→
全てを捨てて、ヨガの導師として教えを伝え始める
という、異色の経歴を持つ方です。
■師曰く、
「心の強さこそが大事である」
「積極的態度こそが人生を決める」
といい、その哲学が、多くの人に影響を与えてきました。
今尚、たくさんのファンが存在する、
そんな知る人ぞ知る、偉人です。
中村天風氏は、その著書にて、
本日のテーマである「病」について、
このような言葉を残していました。
「体なんてものは、魂の入れ物だ」
「風邪ひいた、キツいなんてのは、気のせいだ。
自分の身体が、”隣のおばちゃんのもの”と客観的に思え」
「体が病んだからといって、気まで病ませるな」
と、説いており、
それを証明する師自身のエピソード(麻酔無しで歯を抜いたり)を、
その講演で紹介していたのでした。
*
中村天風氏の場合、
精神を極限まで修練したが故の偉業だったのでしょうが、
当時、バカ正直な私は、
純粋にその話を受け止めていました。
しかも、当時、天風氏の本を読みすぎて、
何だか出来る気がしてしまっていました。
「そうか、病は気からだな」
そう、ものすごく感銘を受け、
実践してやろうと燃えていたのでした。
■そんな矢先、風邪をひきました。
頭がいたい、喉が痛い。
熱もあるようだ。
そう感じたのですが、
「いやいや、気のせいだ」と、
「これは、大した事ではない」と、
言い聞かせて過ごしていました。
不思議と、そう言っていると、
何となく、大丈夫な気がしてくるもの。
気のせい、気のせい、気のせい。
そう思って1週間ほど過ごしていました。
不思議なもので、
比較的元気に過ごしていたと思います。
しかし、ある日、急激に悪化の一路をたどり、
いよいよ「気のせい」では済まないほど、
喉の内部が腫れ、水も飲めなくなりました。
(流石にこれは、気のせいではないぞ)
そう思い、また”隣のおばちゃん”とは思えぬ、
肉体の苦痛を感じて、救急外来に駆け込んだのでした。
医師は診察するなり、こう言いました。
「なんで、こんなになるまで放っといたの?」
「喉に膿がたまっているよ。扁桃周囲膿症ですね。
今から切りますから、今晩から入院してください」
そういい、その直後、
筆舌に尽くしがたき外科治療を行い、
そのまま入院となったのでした。
(詳細は痛すぎるので、ここでは書きません)
■さて、なぜまた、わざわざ
昔のとりとめのない話をしているのか。
そこについて思うことあるのです。
「病は気から」と言い続け、
入院をしてしまった間抜けな話ではあるのですが、
一方、”このときの体験”を思い出して、
ふと思うことがある、のです。
それが、
【大丈夫と言っていれば、「大丈夫」な気がしてくる】
(=体はどうかは、一旦おいておいて)
ということなのです。
*
もちろん、病は病。
だから、「大丈夫な気がする」レベルで、
ちゃんと治療は必要だと思っています。
(そうしないと、私のように入院する羽目になります)
しかしながら、思うのが、
今の日本社会、医療費が大問題となっている現状を考えたり、
大病院が「サロン化」している
(=大した症状がなくとも、会話のための憩いの場になっている)
とか
また、ちょっとした風邪でも、
「大丈夫?!熱はない?!」と時におおごとにしてしまう、
というような、
若干、過剰な世の風潮がある。
と私は感じることが、しばしばあるのです。
薬に頼る、病院の力を借りることも、
もちろん大事なこと。
それは、私自身がものすごく体感していることです。
しかし、同時に、
何か病になったときでも、
『大丈夫、大丈夫。大したことない』
と、ドーンと構えて、
細かいことは気にしないくらいの姿勢のほうが、
力強く、健やかに生きることができるのでは、
と思うのです。
(あくまでも、個人的にそう思う、ということです)
■「病は気から」と言います。
やれ、体が重い、だるい、キツい、
そう、口々に言っていると、
ますますそこに焦点があたり、
負の自己暗示にかかり
さらにキツくなるし、
だるくなるし、
体が重くなるものです。
健康対でも、
「だりい、だりい」と
口癖のようにいっていたら、
無気力にコンビニたむろする人のように
ますます元気がなくなるのです。
風邪は風邪。
体調不良は体調不良。
それはそれで、心は心。
「体が病む」ことが
「気を病む」ことにつながらないように、
意識すること。
結果的に、そちらのほうが、
自分自身楽だし、健全ではなかろうか、
そんなことを思った次第です。
最近は、インフルエンザが流行っていますが、
手洗いうがいをしっかりしつつ、
「気」も「体」も、健康、健全で今週も頑張りましょう。