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1767号 2018年12月19日

「間に立つ人」にこそ、実は価値がある

(本日のお話 2254字/読了時間3分)


■こんにちは。紀藤です。

昨日は2件のアポイント。
並びに1件のコーチング。

夜はそのまま健康系の居酒屋で
男3人で飲みながら、会食(人生相談会)でした。

色々とアイデアを頂き、私自身、たくさんの気づきを頂きました。
(Mさん、Tさん、ありがとうございました!)

やはり、
自分の頭の範囲内で悶々と考えるよりも、

"自分の頭(思考)の外に出て、
積極的に刺激を求めていく"

とアイデア、ネタはひらめくものだなあ、
そんなことを思った1日でした。

人に会うと、メルマガネタを思いつきます。
不思議です。




さて、本日のお話です。

最近、「リベラルアーツ」について、
自分でも書籍を読み、調べ、まとめ続けています。

その中で、

「知れば知るほど、自分が知らない」

という現実を目の当たりにさせられ、
愕然としております(汗)。


しかし同時に、そんな
「無知の知を知るプロセス」の中で、
ある気付きがありました。

その内容が「教える立場にある人」にとって、
大切なことではないかと思いましたので、
本日はそのお話を、皆様にご共有させて頂きたいと思います。

タイトルは、


【「間に立つ人」にこそ、価値がある】。


それでは、どうぞ。



■「リベラルアーツ」について
色々な書籍を読む中で、気づいたことがあります。

あえて、"感じたこと"を
3つのポイントに絞ってみるとこんな感じです。

(私個人の主観です)

<リベラルアーツの本を読んだ感想>

1、内容が広すぎる

2、内容が深すぎる

3、著者のプロフィールが凄すぎる


、、、

なんだかチープな意見ですが、
本当にそう感じるのです。


■特に「3、著者のプロフィール」となると、
凄い経歴の人が、たくさんいます。

例えば、最近読んだ本の"著者プロフィール"を見ると、
こんな感じでした。


・東京理科大学大学院教授、東京大学名誉教授。
 専門は科学史・科学哲学。

・ハーバード大学卒業。
 在学中シェイクスピアを中心とする英国文学、
 文芸批評理論、国際政治経済学、哲学などを修める。

・東京大学法学部在学中に司法試験に合格。
 裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。
 並行して研究、執筆や学会報告を行う。

、、、

見ての通り、すごく優秀な経歴の方々。

本の内容を読んでも、

深い示唆に富む内容で
たくさんの詳細な情報で、
複雑な話もたくさん書いてあって、

「すごいなあ、、、」

と思うばかりです。

"その道の一人者"だろう、
というのも、なんとなくうなずけます。


■しかし、同時に思うことがあるのです。

それは、

"その道において、
「超一流」「圧倒的な知識」があることのみ”

が価値になるか、といえば、
そうとは限らない、とも思うのです。



以前、私があるリベラルアーツの専門家に
こんな質問をしたことがありました。

「自分より詳しい人がたくさんいるのに、
 "自分が教える"のは、ありなのですか?」

という質問。

「一流がいるんだから」、
「もっとすごい人がいるんだから」、
「まだ自分は十分じゃないから」。

だから、「自分が教える」のは、
時期尚早なのではないか、

という質問です。


■その専門家である先生が答えたのは、
以下のような回答でした。

「“教えたい”と思ったら、誰もが教える資格があるんだよ。
 完璧なんてないのだから」

、、、と。

また同じ質問について、教育に携わる方は、
こういう回答をしていました。

「人は、”上すぎる人”の話は、理解できないんだよ。
 新入社員に、部長の話は、まだ理解できない。
 だから、新人には、2年目、3年目の人が教えてあげたほうがわかりやすいよね。
 ちょっと上くらいが、ちょうどいい。」

、、、と。


■そして、リベラルアーツの専門家の著書を読み、
そして、自分が提供できる価値を省みて、思ったのです。

実は、

【「間に立つ人」にこそ、価値がある】

のだろう、と。



先述の、「リベラルアーツ」についてもそうだし、
別のことでも、すべて同じ。

本当に"その道"を突き詰めていくと、
情報が圧倒的に増えていきます。

実際に起っていることですが、

・教える方も、専門家になりすぎるがゆえに、
 “あれも伝えたいこれも伝えたい”となって複雑になる

・骨格以外の、枝葉の部分も詳しく知るがゆえ、
 また他の事象との複雑なつながりも見えるゆえに
 シンプルに語れなくなる

・ゆえに、「高尚すぎて、逆にわからない」となる

、、、意外とこういう事、
頻繁に起こっていると思うのです。


専門家すぎるゆえに、伝わらない場合がある。

これは一つの事実ではなかろうか、
そう、思うのです。



■【「間に立つ人」の価値】。

まだ未熟かもしれない。
自分自身が学んでいる最中である。
知識も経験も、完璧でなく、成長途中。


でも、だからこそ、
「超未熟」「超素人」な人からすると、
わかりやすかったりする。

それは、

・「わからない人の視点」で伝えられる
・ 「基本中の基本」だけ伝えられる

からなのでしょう。

でも、それが逆に、
”価値”をもたらすこともある。
そのように思うのです。

だから、誰もが「教える側になる意義」があるのです。


■組織においても、同じでしょう。


自分なんて、リーダーにふさわしくない。

自分なんて、まだ教えられるほど、知識も経験もない。

教えるのにふさわしい人は、もっとたくさんいる、

、、、

そう思っている人、いるかもしれません。

しかし、繰り返しますが、
そのような「間の人」だからこそ、
伝わりやすく、価値になるのです。

もちろん、より上位の専門家になればなるほど、
その付加価値はより高まります。

しかし、誰もがそうなる必要はなく
その上位の人の言葉をシンプルに伝える

『「間の人」がいてこそ、学びの裾野は広がる』


のです。

だから、どの段階の、どの層の人も、
すべからく「教える意義」はあるし、
大事な役割を果たしている、そのように感じます。


■東大で学びたい人もいれば、
地域の学習塾で学びたい人もいる。

自分の兄、姉、母から学んで、
それが「価値」となる人もいる。


レベルは違うけれど、

『私達は、皆、教師である』

といえるのでしょうし、
自分自身も「教えること」によって成長し、
自他ともに、学びのスパイラルが高まっていくもの。

だから、


【「間に立つ人」にこそ、価値がある】


そう、強く思う次第です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今日も、皆様にとってよい1日となりますように。

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<本日の名言>

自分への教育は、
自分の無知を認めることから始まる。

スティーブン・R・コヴィー
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