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2077号 2019年10月28日

劇的な成長や変化とは、「真剣なる一瞬」によってもたらされる

(本日のお話 2450字/読了時間3分半)

■おはようございます。紀藤です。

昨日日曜日は、
システムコーチングのワークショップの3日目でした。

良い研修で、今後の自分の
大いなる武器になりそうな予感。

磨いていきたいと思います。



ちなみに、「研修を受ける心構え」について持論を一つ。

私は多くの研修やら、セミナーやら、
ワークショップなどなど参加しておりますが、

”良い研修かどうか”

は参加するまで、本当にわからないのです。

もちろん色々前評判を調べますが、
結局、合う合わないなど、感性の問題も大いにありますので、

ものすごい期待したセミナーが期待はずれだったり、
あるいは、さほど期待せずに参加したコースが、
自分の人生を変えるようなインパクトを持ったりします。

”くじ引き”のようなもので、
当たりクジを引いたら、本当に人生の航路が変わりますし、
そういった人を何人も見てきました。


ちなみに”当たりくじ”の傾向として、
2000円、3000円の安いセミナーで変わったという人はあまり見ません。

逆に、清水の舞台から飛び降り降りるような、
お高い研修の方が、打率は高いと思われます。

それはおそらく、

・高くても集まる=質が高い

ということもそうだし、

参加する方も(元を取ろうと)も真剣で、
提供する側も高いとわかって取り組んでいるので、
場のエネルギーが高い、とでもいうのでしょうか。

ゆえに、

”自分の人生にインパクトを与えるヒット率”

も高いとも感じます。
(あくまでも、個人的な感想ですが)

ひたすら自らをアップデートし続け、
そしてその能力によって貢献し、自分も周りも豊かになる、そんなサイクルを回していきたいなと思った週末でした。




さて、前置きが長くなりましたが、
本日のお話です。

今日、研修後で気持ちが高ぶっておりますため、
朝から暑苦しく「成長と変化」について、
思うことを皆様にご共有させていただきたいと思います。

タイトルは、


【劇的な成長や変化とは、「真剣なる一瞬」によってもたらされる】


それでは、どうぞ。


■話が飛ぶようですが、
月に1回参加している空手のお話。

3日たった今も、
空手のダメージが未だ全身を覆っており、
右膝、左足の後、腰、そして右腕が、
打ち身により痣や腫れがあり、未だ痛みます(涙)

そこまでしてなぜ空手をやるのか、
ということに関しては、また別の話となりますが、

1つ言える事はこの空手

月で1回であるものの、
参加する人が本当に真剣に戦うため、

『消して気が抜けない』
(=真剣にやらねばやられる)

という感覚で対峙しています。

終わった後は、ダメージもありますが、
毎回毎回、成長を感じます。

次はこうしよう、と思ったことが、
身体に刻まれるイメージでしょうか。


■一方、週1回ムエタイのジム。

まあ、ジムなので、
さほど乱暴なこと(?)はしません。

ミット打ち、サンドバック、
シャドーボクシングなどなど。

もちろん実践と練習は意味が違いますが
成長率でいうと、やはり「空手の実践」ほどの、
1回あたりのインパクトはありません。

「実戦」に勝る練習はないのです。


まるでアニメのドラゴンボールで、
死闘を繰り広げた主人公・孫悟空が、
その戦いの後劇的にレベルアップするような感覚。

それが「真剣なる実戦」
「真剣なる一瞬」の後にはやってくる、

そう私は思っています。


■ちなみに、上記は「空手」は、
わかりやすいので例として出しました。

そして同様に、


『仕事でも、人間関係でも、
 劇的な成長や変化と言うのは、
「真剣になる一瞬」によってもたらされる』


ものです。


おそらく、皆様もご経験があるのではないでしょうか?

例えば、

・あの大変なプロジェクト。キツかったけど自分を成長させてくれた、とか

・あのときの上司とのぶつかり合いで関係が改善された、とか

・腹を割って話し合ったあの夜以来、急激に親しくなれた

・あの3分間の魂のこもったプレゼンを経験して、
 自分の話し方がガラリと変わった

、、、というように。



■「一皮むける」なる表現がありますが、
何かをきっかけに、同じ人が違う人になること、
確かに起こり得ます。

ただ、それには、条件があると思います。

1つ目の条件は、

1,今の自分より大きくなるため、
  恐れや、不安や、プレッシャーに対峙することを選択する

そして、2つ目は、

2,それに対して立ち向かう・乗り越える・やり遂げるために、
  自分が持つ全てを”出し尽くす”

こと。

体育会系まっしぐらの意見ですが、実際そう。

適当にやっていて、
劇的な成長など見込めるはずもない。

人生は等価交換で、
差し出したものしか受け取る事はできないのです。


■それは、自分を覆う薄皮のようなものを、
じたばたと体を動かしながら破いていき、
脱皮していく、そんなイメージでしょうか。


もし大きくなることを求めず、今のサイズで安住すれば
自分が窮屈に感じることも、破る努力もせずに済みます。

でも、何かにチャレンジをしようと”選択”した瞬間、
今の自分より大きくならないと戦えないことに気づくのです。

そして、大きくなろうともがく。


それが、数時間、数十分、数分の対峙だったとしても、

薄皮の中にいた自分と、
それを破った自分では、
世界の見え方が変わっている。

世界の見え方が変わると言う事は、
同じ事象でも、自分が感じる感覚が違う、
と言うことになります。

それはすなわち(自分にとって)
世界が作り替えられた、と言っても、
過言ではないのかもしれない。


■なんとなく惰性で過ごしている1日は、
痛みはありませんが、成長もありません。

成長が全てではないですが、成長とは
新しい世界の見方を手に入れることなので、
人生の深みは増していくことは、一つの真実かと。


恐れや、不安や、プレッシャーもある、
そして中で「真剣な一瞬」を持って取り組むこと。

このことこそが、自分を成長させ、
誰かとの関係に変化をもたらし、
自ら新しい世界に連れて行ってくれるのではなかろうか、、、

そんなことを、
空手の右足のアザと、
未だ腫れのため曲がらない右腕を見ながら思った
(意味付けをした?)次第でございます


皆さまは、最近、自分や関係性に変化をもたらした、
「本気の一瞬」、体験されましたでしょうか?

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<本日の名言>

黙って服従することは、
しばしば安易な道ではあるが、
決して道徳的な道ではないのだ。
それは臆病者の道なのだ。

マーティン・ルーサー・キングJr(米国の牧師・社会運動家/1929-1968)

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