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4216号 2025年9月10日

「痛みを大切にする」というワークから見えてきたこと

(本日のお話 1888字/読了時間2分)

■こんにちは。紀藤です。

昨日は2件のアポイント。ならびに研修の企画・設計など。
今週から来週にかけて、研修が立て続けにあり、ありがたいですが、かなりバタバタとしております(汗)
とはいえ、ランニングの時間をなんとか捻出しようとしているためなんだかんだぎゅうぎゅうになっている今日このごろ。(妻からは「無理して走らなくていいのに」と言われています。 最もすぎる意見です)
ということで、昨晩は7.5kmのランニングでした。



さて本日のお話です。
急ではありますが、
世の中に対して、しばしば「腹立たしい」と思うことがあります。

それは、身近な人で「自分だったら耐えられない」「辛すぎる」と思うような、かなしいことが起こるときです。

そんなときに、腹立たしく思うのは「そういうかなしみが起こってしまうこの世の中」です。大きすぎるかもしれませんが、真面目にそう感じてしまうのです。

そんな中で、先日参加したシステムコーチングのワークショップで「痛みを大切にする」という、あるワークを行いました。その中で、いろいろと感じることがあり、今日はそんな体験からの気づきを書いてみたいと思います。

それでは、どうぞ。

■「痛みを大切にする」というワーク

私が約5年ほど前に取得した「システムコーチング」という資格があります。これは、チームやパートナーを相互作用のある1つのシステムとしてとらえ、システムにコーチングを行うというメソドロジー(方法)です。
この学びの旅路は、自分の考え方に大きな影響を与えてくれました。

そのシステムコーチングの集まりに、ふとしたきっかけで数年ぶりに参加したのですが、そのときのワークというのが「痛みを大切にする」でした。

その集まりにおける共通言語は「ワールドワーク」というものがあります。大げさなように聞こえそうですが「自分が人生をかけて取り組むテーマとは」「何をこの世に残していくのか」といった問いを扱います。そして、その起点となる1つが「痛み」である、というわけです。

人が何かを志す背景には、「過去の自分を救いたい」という願望があるように思います。あのときの自分が大変だった、辛かった、逃げ出したかった。その原体験を投影する形で誰かを救いたいと思う。そう感じる人も、決して少なくないように感じます。

自分の「痛み」の起点を知ることは、意外と大事ということです。

■「痛みだらけの世の中」に憤りを感じる

とはいいつつ、この「痛みを大切にする」というテーマ。
正直、まったくピンときませんでした。

システムコーチングのワークは、自分の想像とは全く違う方向から問いが飛んでくるので驚かされますが、むしろ正直に言えば、「痛みを大切にするなんてできるわけがない」(だって痛いの嫌じゃんか)と思っていました。

個人的な意見としては、「この世というのは基本的に痛みだらけであり、痛みがもたらす負の影響は凄まじいものがある」と感じています。

ゆえに、知人の哲学者が教えてくれた「反出生主義」という考えにも、どこか共感してしまう自分がいて、どことなく厭世的に世界を見てしまう部分も、確かに存在しています。

(「反出生主義」についてはこちらを参照ください↓)
https://note.com/courage_sapuri/n/nc5d48b596df0

■痛みと怒りの先に「あきらめと希望」が生まれる

とはいいつつ、せっかくなので、真剣に「痛みを大切にする」というワークをペアで行ってみます。

そして、真剣に語り合っていくと、その場にいる十数人の参加者が、それぞれ異なる痛みを抱えていることに気づきます。「この世は痛みだらけだ」と実感する中で、場には痛みから生まれるやるせなさや悲しみ、怒りなど、負の感情が、その場に、渦巻き始めました。

輪になっている空気も重たくなります。そして場には沈黙が続きます。
こんなにも、自分以外も痛みを感じていて、それに憤りを感じている。
それが複数の人間が集まると、強力なエネルギーの磁場が生まれるようでした。

しかし不思議なことに、その悲しみや痛みの中にとどまって、水中に潜るような重さを感じると、その中から空気を求めて浮上するように、流れが変わる瞬間がありました。

「でも仕方ない」という、「この世の痛みに対するあきらめ」のようなものです。”あきらめ”という言葉は、仏教用語で「明らかにそうであると認める」が語源だそうです。つまり、世の中の現実をそのまま見つめること。
その現実をしっかりと受け止めると、不思議なことに「皮肉ばかり言っても仕方ない」という気持ちに気づき、そこに希望の種が生まれてくる…。そんな感覚を得られたのが、新鮮なのでした。

■まとめ:痛みに浸るのも必要

身の回りで、とても悲しい出来事や辛い出来事は、少なからず起こります。それは私だけでなく、きっと皆さんにとっても同じでしょう。
「なぜこんなに痛みだらけなのだろう…」と感じることは、決して少なくありません。

そういう時に、その痛みや悲しみに蓋をするのではなく、しっかりと向き合い、受け止めること。辛くて決して心地良いとは言えませんが、それには大切な意味があるのではないか。そんなことを思うのでした。

そういう意味で「痛みに浸る」というのは、時に大事なことなのだと感じている次第です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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