なぜ、毎年100kmマラソンを走るのか? ー野辺山ウルトラマラソン8回目の挑戦に向けて思うことー
(本日のお話 2433字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日金曜日は、2件のアポイント。
また夜は教員として関わらせていただいている
「リーダーシップ概論」の授業の学生との打ち合わせでした。
授業プログラムの設計で、はじめての試みをするので、
実際にどんな風になるのか、ドキドキしております。
*
さて、本日のお話です。
私事ですが、明日、「野辺山ウルトラマラソン100キロ」に参加してきます。
2017年からスタートし、開催された年は欠かさず参加してきました。
今回で、なんと8回目のチャレンジとなります。
年を重ねたものです…。
これまでの自己ベストは11時間31分。
そして、出走したレースはすべて完走しており、今のところ無敗です。
5月になるたびに毎年恒例の儀式のようになってきており、以前は1ヶ月前からドキドキしていたものですが、今となっては「いつもの週末のイベント」くらいの、不思議な感覚になっている今日この頃。
そんな野辺山の前日に、少しだけ語ってみたいと思います。
なぜ毎年100キロを走るのか。
そして、この8年間で気づいたことについて。
それでは、どうぞ!
■野辺山ウルトラマラソンとは、どんなレースか
野辺山ウルトラマラソン100kmとは、八ヶ岳の山々をアップダウンを繰り返しながら走るタフなレースです。
獲得標高は2,300m。解説としてはこんな風にネットでは語られています。
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野辺山ウルトラマラソン(正式名称:星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン)は、長野県の南牧村など5町村にまたがる標高1,000m以上の高原地帯を舞台とした国内屈指の過酷な大会です。
その起伏に富んだ難コースから「東の横綱」とも称されています
※GoogleAI検索より
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最初の区間で山をひとつ登り、そして足が動かなくなってきた70km地点でまた1,000mほど急激に上がっていく。
そのコースの過酷さから、「野辺山を制する者はウルトラを制す」と、この界隈では言われております。
■なぜ100キロを走ろうと思ったのか
そして、よく聞かれる質問で「なぜ100km走ろうと思ったのか?」という話の答えは至ってシンプルで、「友達に誘われたから」です。
そもそも100kmマラソンというものが存在することすら知りませんでした。
100kmといえば24時間テレビのイメージ。自分がやってみようという選択肢にすら、まったく入っていなかったというのが正直なところです。
ある論文の中に、なぜウルトラマラソンを始めたのかという調査がありました。
それによると、23%の人が「他者の影響」をきっかけに挙げています。
いくつかのきっかけは、他者からもたらされる。
人生における大切なことの多くは、自分一人では思いもよらなかった方向から、やってくるのかもしれません。
■ウルトラマラソンは、やっぱりしんどい
毎年走るたびに思うのですが、100kmは「やはりしんどい」のです。
どれだけ慣れても、70km地点になると「なぜ自分は参加してしまったんだろう」という気持ちが、ほぼ確実に湧いてきます。
足が動かなくなり、それでも気持ちだけで前へ進む。
ペースが落ちないように、ただただ耐える。
一番最初に走った時は、本当にドキドキしながら走りましたし、自分を最後まで追い込もうと粘った2022年のレースでは、人知れず涙を流してしまうほど、自分を限界まで追い込んで頑張りました。
制限時間ギリギリの14時間の100kmのゴール地点では、完走後に涙している人もちらほら見られ、感動します。
一方で、昨年2025年のレースでは、前日に仕事が夕方まで入っていた影響で移動が遅くなり、睡眠時間もほぼなく、食事もろくに取れず、エネルギーが枯渇した結果、レース中に寝てしまうという出来事もありました(汗)。
それでも毎年、何かしらの思い出が必ず残る。
そこが、このレースの不思議で愛おしいところです。
■ウルトラマラソンは、孤独なレースである
ウルトラマラソンもマラソンも、基本的には一人で走ります。
仲間と行ったとしても、やっぱり「最後は一人」なのです。
そして何より、「毎年、野辺山に出続ける」と決めてから気づいたことがあります。
それは、
「一緒に走っていた仲間が、だんだんといなくなっていく」
ということです。
始めた頃は盛り上がって、いろんな人が集まってきます。でも、続けることはなかなか難しい。
1回目、2回目と参加する人は減り、3回目にはさらに減り、5回目ともなれば当初一緒に走った仲間はほぼいなくなる。
そして今年、8回目を迎えた今、最初から継続して毎年会う仲間は1人だけになりました。
10回完走すると「デカフォレスト」という称号が与えられ、ゼッケンの色が「白」→「黒」に変わります。
その黒いゼッケンをつけた人たちは、どこか仲間とつるむというよりも、一人淡々とやっているイメージがある。
レース中も、前日の宿でも、一人で粛々と準備をして、一人で布団をきれいに畳んで、静かに出ていく。
その背中に「孤独」の匂いがしながらも、美しさを感じるのです。
そして、私が「なぜ100kmを毎年走るのか」も、「淡々と続けていく姿に美しさを感じるから」なのです。
才能がなくても、続けること、努力をすることで、自らを高い場所に置き続けることができる。
それが、凡人である自分の、存在証明であるようにも感じるのです。
野辺山にも、70歳になっても、100kmを走り続けている猛者がいます。
その姿には、神々しさすら感じます。
人生というレースは、持久走です。
土俵に上がり続けた人には、希少性が生まれ、そして独自の輝きを放つように、私には思えます。
そして、自分もそうなっていきたい、と思うのです。
■宣言:今年は「自己ベスト」を狙う
今年は過去最大に暑い週末になりそうです。
最高気温26度、ほぼ夏(笑)。
歴代のレースを見ると、最高気温が25°だったときは、完走率が50%まで下がっていました。
今年はそれを越える暑さになる予定です。
そんな状況で自己ベストが出せるかどうかは、自信を持って断言はできません。
しかし、今年サブ3を目指して練習した走力が、きっと自分の中で育っていると信じ、自己ベストを目指したいと思います。
そして、100kmマラソンを70歳になってもずっと走り続けられるような、そんな身体と習慣を育てていけたなら、きっと人生はもっともっと豊かになるのではないか…と。
明日も通過点です。楽しみながら、挑んで行きたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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