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2614号 2021年4月17日

可謬主義、「自分間違っているかも」のスタンスを忘れない

(本日のお話 2523文字/読了時間3分)

■こんにちは。紀藤です。

昨日は4件のアポイント。

並びに夜からは、
大学院の授業でした。



さて、本日のお話です。

4月より大学院に通い始め、
さっそく学びが始まっています。

(ちなみに、こんな大学院に行っております。
https://ldc.rikkyo.ac.jp/)

その中で、

「高校生の課題を
リーダーシップを通じて解決する」
ワークショップをつくる

という(なかなか重たい)
プロジェクトが始まっております。

喧々諤々、下は22歳、
職種も経験も違う幅広い仲間で
意見を交わし合っておりますが
そのプロセスが実に学びになっています。

今日はそんな大学院の学びから
気づきを共有させて頂ければと思います。

それでは早速まいりましょう!

タイトルは、

【可謬主義、「自分間違っているかも」のスタンスを忘れない】

それでは、どうぞ。

■「可謬主義」、という言葉があります。

(なんだか難しいですが、
読み方は、”かびゅうしゅぎ”です)

以下、Wikipediaより引用です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

可謬主義(かびゅうしゅぎ、英: Fallibilism)は、

「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」

という哲学上の学説。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とのこと。

■なんのこっちゃ、、、という説明ですが(汗)

平たく言えば、

”『「自分が正しい」と思っていることは、
もしかすると正しくないかもしれない』
という視点を持ち続けること”

を表します。

更に詳しく引用すると、

”可謬主義とは

「経験的知識は、さらに観察をすること
によって修正されうる」ことを理由に、

我々が知識とみなしているものはどれも誤りであることが
判明する可能性があるということを承認することである”。

と述べています。

ということで(?)
シンプルにいえば、

”「自分、間違ってるかも…」というスタンスに立つ”=可謬主義

といえそうです。

■さて、言葉は考え方をピン留めする
ツールではありますが、

いずれにせよ、この考え方
とても大事だよな、感じております。

学びを深める中で

「自分が正しい!」と確信めいて思っていたこと、
そして堂々と語っていたことが間違っていることが
すでに、諸々起こっております。

■例えば、こんな話がありました。

人材開発・組織開発の中で
提唱されている考え方で

『組織の成功循環モデル』

というものがあります。

マサチューセッツ工科大学
ダニエル・キム教授が提唱した話で

「関係の質が、結果の質に影響する」

といいます。

”職場のコミュニケーションを重視することが大事”、
という文脈でよく引用をされています。

おそらくご存知の方も多いでしょうし、
非常にわかりやすく、
私も好きで引用して使っていました。

■、、、ただ、一方、
ある観点では、
こういう反論があることを、
大学院の先生から聞きました。

”「関係の質」が大事とする
『組織の成功循環モデル』は

提唱されている仮説であり
実証研究で証明されているわけではない”

らしい(!)のです。

よって組織開発の専門的な世界で
引用されたりはしない、と。

実際にどこまでが証明されているのか
私はまだ論文などを調べたわけではないですが、

「ああ、自分が正しいと思ってきたことは、
(別の視点から見たら)間違っている、という可能性もある」

と感じたのでした。

■ちなみに実は、

『マズローの欲求五段解説』

なんかもそうです。

これも、人の欲求は下から

・生理的欲求
・安全欲求
・所属と愛情の欲求
・承認欲求
・自己実現欲求

と上がっていく、という説で、

「人間は自己実現に向かって成長する」

と仮定しています。

そのわかりやすさから
多く引用されています。

、、、がこれも、同じ理屈で
研究的視点からすると、

”すべての人間に当てはまるかと言うと、そうではない”

とされており、
一般にはわかりやすさから流行っているが
信頼されているモデルではない、

、、、らしいです。

■なんて、

あらゆるものにイチャモンを
つけているようですが、

「正しい」「正しくない」という
結論を主張したいわけではありません。

”ある意味”といったのは、もちろん
「わかりやすさ」という観点も大事だし、

こう語っている私の話もまた
違っていることもあるわけです。

■ただし、申し上げた
「可謬主義」すなわち、

”『「自分が正しい」と思っていることは、
もしかすると正しくないかもしれない』
という視点を持ち続けること”

によって、

「これまでの経験や情報に囚われすぎずに、
常に新しい情報ややり方にオープンでいられる」

ことは間違いないと思うのです。

■今、大学院のプロジェクトで
チームメンバーと喧々諤々やっていて、

「自分はこうだ!」と思うことがあっても、
他の仲間達が「自分はこう思う」という意見や

こういう視点はあるのではないか、
という意見を聞くと、

「確かにその視点はなかった」
「むしろその通りかもしれない」

と思うことが実に多いのです。

■ただ、それを受け入れられるのは、

「自分が必ずしも正しいわけではない」(=可謬主義)

という前提に立っている事が必要です。

そして、たかが言葉、されど言葉ということで
”可謬主義”というピン留めされた言葉(ツール)を持つことで、

相手の意見を受け入れて、
より良い答えを見つけようとするスタンスを
忘れないようにいられるのだろう、

そんなことを感じております。

■特定の人がその分野で
圧倒的に経験があるとか

あるいはその分野の
専門家中の専門家である、

などであれば、

集団の思考を集結させた結論よりも、
特定の個人の結論のほうが、
正しくなることもあるでしょう。

しかし、原理原則としては
「特に答えがない課題」を解決する場合、

多くの人の視点を踏まえて
課題・問題を特定し、

そして解決策を考えたほうが
様々な角度から考え尽くすことができるもの。

抜け漏れもなくなるし、
合意も取りやすくなるものだと思います。

■だからこそ、

私達個人をみても、
チームでの成果をみても、

【「可謬主義」が、視野を拡げ、
成果を高めてくれるし、成長もさせてくれる】、

そのように感じる次第です。

経験・知識に囚われず、

他者の意見に対して、
常にオープンでいたい、
そのように思った次第です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

人はその好むところをもって、真実とするなり。

デモステネス(古代ギリシャの弁論家/BC384-322)

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