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3532号 2023年10月26日

余命1年の宣告後に、2000マイル(3219km)を走破した女性の話

(本日のお話 2570字/読了時間3分)


■おはようございます。紀藤です。

昨日は1件のアポイント。
その他、社内メンバーとの1on1(厳密には1on2)。
また研修企画や諸々の資料まとめなど。


17:00に早めに仕事を切り上げて
12月のトレイルランに向けて20kmのラン。
その後、月に1度のピアノのレッスンでした。



さて、本日のお話でございます。

ふと思えば、今年7月に

『津軽みちのくジャーニーラン』
(263kmマラソン:制限時間51時間)

に参加してから、
あっというまに3ヶ月が経ちました。

※「263kmマラソン体験記」↓↓
 https://www.courage-sapuri.jp/?s=263km


既に1年近く前に思えるくらい
遠い過去の記憶になりつつありますが、

ある雑誌を読んでいて、
その時の記憶が蘇ることがありました。

それが今月号のランニング雑誌
『ランナーズ』に掲載されていた、
とある方の手記です。



その手記とは

『余命1名の宣告を受け決めた
 2000マイル(3219km)走破への挑戦』
 
という記事です。

読みながら、尊敬の念と、
人の可能性を大いに感じたのでした。


、、、ということで今日は
その記事のご紹介をさせていただければと思います。

それではまいりましょう!

タイトルは



【余命1年の宣告後に、2000マイル(3219km)を走破した女性の話】



それでは、どうぞ。



■私(紀藤)も参加しました、

2023年7月14日の、
『津軽みちのくジャーニーラン(263km)』の開会式。



そこで、弘前市長や、
本大会のNPO法人の代表が挨拶をした後、
おもむろに、とある女性が壇上に上がられました。


パッとみ、普通のミドルエイジの女性。

麦わら帽子のような大きめの帽子をかぶり、
リュックを背負い、今から登山にでもいくような格好です。

一見、鍛えているというわけではなさそうな(失礼)
本当にごく普通の雰囲気です。


この方は、この大会と
一体なんの関係があるのだろうか、、、?

と壇上に上がられた瞬間、感じたことを覚えています。



■その後の紹介でわかったことは、

この方はどうやら

下関から出発し、
青森へ走って向かい(!)、

青森で折り返して
また下関に走って戻る(!?)という

『2000マイル(3219km)走』

のチャレンジにて、
ちょうど青森に折返しで
到着をしたタイミングであることでした。


そして、その方が
263kmをこれから走る私達に対して

「楽しんでくださいねー!」

とエールを送るために
壇上に立たれたようです。

(片道1500km走ってきた方の
 「楽しんでね!」は説得力が違う・・・)



■ちなみに彼女の名は

久坂七夕(くさかしちせき)さん

という方で、児童文学作家です。

そしてその方が、その後の復路も無事走破され
8月16日に女性で初めて2000マイル走の偉業を成し遂げられました。

そしてその「手記」が、
ランナーズの雑誌に載っていたのでした。

以下記事より一部、引用させていただきます。

(ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【(手記)余命1名の宣告を受け決めた
  2000マイル(3219km)走破への挑戦】

(前略)

運動習慣すらない私がなぜ完走できたのか、
途方もない旅の記録とともにお伝えできたら嬉しく思います。

話は10年前に遡ります。
当時の私は、育児、介護、仕事に追われる毎日でした。

そんな折、事故で車椅子生活になり、
追い打ちをかけるようにステージ4のがんが発覚。

生きる力を失っていた時に、
「一番やりたくないことは?」と問われ、
「マラソン」と答えました。

「じゃあマラソンを走ろうか。
 一番嫌なことができたら、他は全部楽勝じゃない?
 子どもにはあれこれ挑戦させるのに、自分は何もやらないの?」
 
その正論に何も言い返せず、辛いリハビリに耐え、
2年後の2015年、佐倉マラソン(フル)を完走しました。
そしてランニング仲間から「じゃあ次は100kmだね」と
新目標を設定されたのです。

(中略)

今年3月の東京マラソン完走直後、
4度目のがんが発覚、余命1年を宣告されました。

「マラソンを勧めてくれた
 リハビリのアドバイザーの師、
 スチュー・ミトルマン(1986年1000マイル世界選手権で優勝した人)と同じ
 1000マイルを走破してマラソン人生を終えたい」
 
そう口にした私に

「本州縦断の片道じゃ1,000マイル(約1,609km)に足りないから、
 往復の3100kmだな」
 
と勧めてくださる方が現れました。

そんな距離を女子が、
しかも一度300kmを完走しただけの私に
走れるわけがありません。

連即した休みが取れるのも、
長女が海外にホームステイする夏休み期間のみ。

真夏の炎天下、がんという爆弾を抱えて走るのは
「命がけ」ではなく「命知らず」です。

しかし作家として「面白い」と食指が動きました。
この経験を著すことはエンタメであり
「遺作」の題材としても申し分ありません。

事実は小説よりも奇なり、漫画より滑稽なり、
100kmすら制限時間内に完走できない鈍亀ランナーが挑戦すること自体
「笑える物語」です。


※『ランナーズ』2023年12月号、P80より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここまで)



■この大会を主催されているのは

NPO法人スポーツエイドジャパンという団体で、
私も大会に参加したことから、Facebookページにて
久坂さんの挑戦を見ていましたが、

「人は自分が想像もしないことができる」

と証明してくれたような、
そんな気持ちがしたのでした。



■私もランニングを趣味にするものとして、
実に共感します。

「走る」という行為。

もちろんフルマラソンを
3時間以内で走る(サブ3)などになると、
肉体的な能力も必要になるかもしれませんが、

(時間を関係なく)長く走るということについては
ある程度多くの人が実現出来ることだと思っています。

たとえ

・運動習慣すらなくても
・マラソンが嫌いでも
・女性で病があったとしても

こうした偉業を人間ができるというのは、
人の可能性と、大いなる希望を見せてくれたようにも
思えるのでした。



■思えば私も、運動は得意ではなく
走るのも好きでもありませんでした。

2015年頃、最初ランニングに誘われた時、
「20km?は、そんなのありえないでしょ」と言いました。

しかし、20km走ると
「次はフルマラソン(42km)だね」と友人から言われ

次に、40kmを走ると
「いや、次は100kmマラソンでしょ」と友人から言われ

次に、100kmを走ったら
「170kmマラソンがあるらしいよ」と友人から言われ

次に、170kmマラソンを走ったら
「260kmは、一度はやってみたいよね」と、

気づけば変態的なレースに参加をしていました。



■久坂さんのお話に並べて述べると、
まだまだな気もしてまいりますが、
構造としては同じだとも思えます。

結局、

”できないと思っていたことも、
 挑戦を掲げて、達成すると新しい何かが見える”

のだろうと思います。


そうした姿は、
かっこよい生き方だと思いますし、
自分の人生を「エンタメ」と語り、
このように力強く物語を紡ぐ姿に
かくありたいものだ、と大いに感銘を受けた次第です。

私も、もっと挑戦を続けていきたい、と思いました。

久坂さん、あらためておめでとうございます!

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<本日の名言>

翼を持たずに生まれてきたのなら、
翼を生やすためにどんなことでもしなさい。

ココ・シャネル
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