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994号 2016年11月3日

消えゆく武士道の歴史から考える、「学び」を継続させるもの

(本日のお話/2147文字 読了時間2分半)
■こんにちは。紀藤です。

昨日は3件のアポイント。

昨日の1日のスタートは、
朝7時から10時半までの早朝打ち合わせから始まりましたが、
朝早く商談もスタートすると1日が充実しますね、

などと盛り上がっておりました。
(S社の皆様、朝からありがとうございました!)

朝7時かの商談なども私は大歓迎です。
もし朝が好きなお世話になっている皆さま、
ぜひ早朝ミーティング、いたしましょう。

そして、夜は恒例の英語塾へ。

ロシアのプーチンの野望について、
語らいました。



さて、本日のお話です。

昨日から読み進めていた

『武士道』(著:新渡戸稲造)

を読み終わったのですが、
改めて素晴らしい名作だな、

と大変な感銘を受けました。

1900年、今から100年以上も前に、
あれ程の格調高い英語表現を自在に操る人がいたなんて、
信じられません。

今日も、『武士道』を読みながら考えさせられた、


「消えゆく武士道の歴史から考える、”学び”を継続させるもの」


というテーマで、思うところを
お伝えさせていただきたいと思います。

それでは、どうぞ。

■旧5000円札で有名な新渡戸稲造氏。

世界的な名著である『武士道』を書いた彼は、
熱心なキリスト教の信者でもありました。

そして教育者でもあり、
世界的な宗教観を含め、博学な新渡戸氏。

日本を愛し、その「武士道」という
仏教と神教に育まれた、日本の価値観を知ると同時に、
キリスト教という西洋の考えにも
深く精通している稀有な存在でした。



■そんな彼が、『武士道』の著書の最後に、
こんな言葉を記していました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「武士道は消えゆくのか」

騎士道は封建制から離れたのち、
キリスト教会に引き取られて、
新たな余命を与えられた。

だた、日本の武士道にはそのような庇護する
大きな宗教がなかったことである。

そのため母体の封建制が崩壊すると、
武士道は故事として残され、
自力で生きなければならないだろう。

(中略)

悲しいかな武士道の徳!
悲しいかなサムライの誇り!

鐘や陣太鼓の響きとともに、
この世に迎えられた武士道は
「将軍も王も去る」ように、消え行く運命にあるのだ。

(『武士道』(著:新渡戸稲造)より引用)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、部分的に引用すると、
何だかさっぱりな話に聞こえてしまいますが、
これは何を言わんとしているのか。

要は、

『武士道は、”封建制の廃止””廃刀令”によって、
 (システムの終焉によって) 生きられなくなってしまった』

ということ。



■日本人に生まれ育った人なら、
何となくわかると思いますが、

確かに、

”武士道”なるものは存在していた、
ということは知っているし、

感覚的に、”忠義””、切腹”なども、
日本が持つ文化の一つとして
自然に受け入れられていると思います。


しかし、です。

「では、武士道が何なのか、について、
 言葉で具体的に説明して下さい」

と問われたとしたら、どうか。


多分、殆どの方が、
答えに窮するのではないでしょうか。



■新渡戸稲造氏の
『武士道』(原書は英語で書かれた)を翻訳した一人である、岬龍一郎氏が、
巻末の解説にてこんな言葉を残しています。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

武士道は「人の道」、
キリスト教は「神の道」という違いは合ったが、
その根は同根であり、目指す方向も同じだったのである。

決定的な違いは、

”武士道には「神」と「聖書」がなかったこと”

なのである。

(『武士道』解説より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


武士道とキリスト教。

これらは生まれた文化背景は違いこそすれ、
どちらもそれぞれ大切にされてきた、
”生き方”や”道徳観”を語ってきたものです。


しかし、

「武士道」は明確に言葉にされなかった。


過去の日本に於いて、
脈々と「空気感」のようなもので受け継がれてきた、
”大切な教え”が「武士道」だった。

空気感で伝わってきたものだったからがゆえに、
封建制や廃刀令によるシステムの終焉と共に、
その大切な価値観も終焉を迎えてしまったのではないか、

ということ。



■そして、この一連の話を聞いて、
はたと思ったのです。


大切だけれども、
抽象的で、目に見えないもの、
それが「教え」であり「学び」である。


しかし、「武士道」は言葉にされず、
人々の生活から離れていってしまった。

逆に、「キリスト教」や他の宗教は、
「聖書」「教典」と共に生き続けてきた。


もちろん、一つの要因でしかなく、
それが全てではない。


ですが、”目に見えない大切なもの”を
受け継ぎ、継承するにあたり、


『言葉として残す』


ということは、あらゆることに通ずる、
大切なことではないだろうか、

そのように思ったのです。



■大切な考えや、価値観。
誰かに伝えたい教えや学び。

あらゆる組織や文化、
家庭にも、そのようなものはあるように思います。

しかし、これらのものは、
「空気感」だけで、
人の心に残すのは限界があります。


だからこそ、

『言葉に残す』

ということが重要なのでしょう。


あくまでも推察ですが、
きっと新渡戸稲造氏が、

『武士道』

を言葉として遺したのも、
消え行く大切な文化・魂を遺したい、
そんな意図があったのではないだろうか、

そのようにも思えるのです。



■私達の日常も同じです。

粒感は違えど、人材の育成でも、
きっと、同じ。

学びを残すためには、

『言葉に残す』

ことが与える影響は大きし、
個人の学びでも、復習でも、

『言葉に残す』『書き記す』

ということで、
私達の記憶に、心に残る確率は、
俄然高くなるものです。


大切なことは、

『言葉に残す』。


消したくないからこそ、
何とか形にしようと、努力したいもの。

そんなことを、
「武士道」の歴史から考え、思った次第です。


最後までお読み頂き、ありがとうございます。

【本日の名言】 良き書物を読むことは、
過去の最も優れた人達と
会話を交わすようなものである。

ルネ・デカルト

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