「ありがたいダメ出し」が、人を成長させる
(本日のお話 2503字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、1件のアポイント。
また午後からは「生産向上研修」の実施でした。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
また昨晩、ピアノ発表会に向けた、最後のレッスンが終わりました。
約一年前から始め、ひたすら「ラ・カンパネラ」だけに取り組み続け、2ヶ月ほど前からは、10日に1回ほどのレッスン。
まるで小学生のときにピアノを習っていた頃のように、たくさんのレッスンを重ねてきました。今回の曲は、自分史上、最も練習してきました。
さて、最後のレッスンは「ありがたいダメ出し」で終わりました。
今日はそんなレッスンを通じて思ったことを書いてみたいと思います。
よろしければお付き合いくださいませ。
それでは、どうぞ!
■ピアノという終わりなき旅路
ピアノを練習していると、「なんと果てしない旅路か」と、痛感します。
プロのピアニストの演奏を聴いていると、まるで手が自動操縦のように動きます。ミスタッチなんてまるで存在しないかのよう。
しかし、実際には、あの動きが体に染みつくまでに、膨大な練習が費やされています。その道程を想像すると、言葉を失うほどです。尊敬しかありません。
先生が「音楽は、才能ではなく努力です」といいました。
もちろん、音感や身体能力、音のセンスはあるにせよ、それをかたちにするには、一日何時間と鍵盤に向き合い続けるという営みが必須です。
それは並大抵のことではないと、今回の曲を完成に近づける道のりで痛感していました。
■「素晴らしいじゃないですか」からはじまる
ちなみにピアノのレッスンで「最も緊張するのは、最初に弾くとき」です。
儀式のように曲を通して弾くのですが、その時は、本番をイメージして弾くので、非常にドキドキします。ピアノの先生の前で、一発目の演奏に込める緊張感があります。緊張の中、椅子に座り、いつもよりも少ない口数で、恐る恐る弾き始めました。
音が鳴ってしまえば不思議なもので、何度も馴染ませてきた曲が、いつもよりも自分にフィットしている感じがします。ミスは相変わらずですが、ゴリ押しする形で、曲を止めることなく、終えることができました。
弾き終わると、先生が「素晴らしいじゃないですか」と言ってくれました。
続いて「弾いてみてどうでしたか?」と聞かれます。
「以前よりも馴染んできた気がします。ただ、まだまだ不安な要素がいくつもあります」と話します。
すると先生も、それに応えるように、「素晴らしいじゃないですか」という言葉が嘘のように、鋭く、的確な耳の痛いフィードバックがはじまるのでした。
たとえば、こんなことを伝えていただきました
・最初のパッセージとその後の部分でテンポが微妙に違っていて、曲の流れが不自然
・安定感を出そうとしすぎて、リズムに乗れていない
・テンポを決めきれていないから、演奏に芯がない
などなど・・・。
一つ一つが細かく、「まだまだである自分」を痛感させるものでした。
さらに、右手の細かい三連符・四連符のパートで、「一音がぼやけていて、意思が感じられない」というコメントもありました。つまり、「どの音をどう鳴らしたいのか」が曖昧なために、指の先が浮ついて見える。
そして「片手ずつ、ゆっくり弾いてみてください」と言われます。
しかし、片手ずつ弾こうとしても、弾けない。
自分では「なんとなく弾けていた」と思っていた部分が、実は弾けていなかったことがあぶり出されていました。(それらを一回聴いただけでわかるというのは、本当に脱帽としか言いようがありません)
■成長を求める人には、厳しいフィードバックが効く
毎回のレッスンで、「自分が気づいていない弱点」をあぶり出される。
自分では「弾けている」と思っていた部分が、まったく通用していない。
しかし、それを突きつけられるのは「めちゃくちゃありがたい」ことなのです。なぜなら、成長したいから、もっとよくしたいからです。
そして、これらのことから改めて強く思ったことがあります。
<「成長を求める人には、厳しいフィードバックが効く>
ということです。
褒める、認めるという「承認」はもちろん大切。
それがあるからこそ、人は安心して前に進めます。
でも本当に相手が成長を望んでいるのであれば、その言葉を受け取る土壌があるのであれば「今のあなたでは、まだ十分ではない」とストレートに伝えるフィードバックこそが、その人を一歩先に進ませることがあるもの。
(実際にこれは、フィードバックの理論でも「成長欲求」が高い人には、耳の痛いフィードバックがよく効く、という研究もあるようです)
もし、昨日のレッスンで、先生が「素晴らしいですね」で終わっていたとしたら、発表会までの残り1週間を、危機感を強めて取り組むことはできなかったのでしょう。
褒める、認めるという「承認」はもちろん大切。
それがあるからこそ、人は安心して前に進める。
でも、やっぱり成長を求めるなら率直なフィードバックが必要なのだろうな、と思ったのでした。
■まとめと感想
素晴らしいフィードバックは、自分が見えてないものを見せてくれて、そしてそれが、的確であることです。そのフィードバックを改善すると、自分が確かに上達した感覚を得ることができる。
だから、成長の喜びを感じられ、もっとフィードバックも欲しくなる、フィードバックがクセになるというのもあるのでしょう。
一方、仕事では「技術的課題(正解が存在する)」ではなく「適応的課題(正解が存在しない)」という答えがないこともあるわけです。100:0ではなく、この技術的課題と適応的課題のスペクトラムの何処かに位置するのが、日常の課題なのでしょう。
たとえばピアノであれば技術的課題よりですが、リーダーシップやチームビルディングでは「適応的課題」よりです。フィードバックのポイントは変わってくるかもしれませんが、しかし自分が学生さんにフィードバックをする時も、ピアノの先生と同じように
・的確に見抜く目を養い
・伝えるタイミングを見極め
・明確に伝える気概を持つこと
そうしたことを身に着けたいと思った次第です。
ピアノの話からフィードバックの話になりましたが、大いなる学びのある時間でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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