「応援すること、されること」はエネルギーを循環させることである
(本日のお話 1745字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
その他はひたすら執筆でした。
こうしたことに時間を使えて、ありがたい限りです。
その他、12kmのランニングなど。
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さて、本日のお話です。
先日、
「書籍を出版したら、ぜひクラウドファンディングとか、やってよ。
応援したいからさ」
沖縄でシェアハウスをしていた10年来の親友と、沖縄生活最後の日の晩餐でお酒を酌み交わしているとき、そんな言葉をもらいました。
そして先日、「強みの見つけ方」の書籍化プロジェクトで、多くの人に協力をいただく中で、ふとその言葉を思い出したのでした。
今日は「応援すること、されること」をテーマに、思うことを書いてみたいと思います。それでは、どうぞ。
■「クラウドファンディング」という戦略
彼も、「団地シェアハウス」(団地全体をシェアハウス化しようという壮大なプロジェクト)を行った際に、クラウドファンディングで色々な人を巻き込んだ経験があります。
最近は、「出版」✕「クラウドファンディング」も、プロモーション戦略の一つとしてしばしば見られるようになりました。
ちなみに出版社によっては、そういった施策を、「出版をきっかけにビジネスにしようとしている」ととらえて、あまり好ましくなく思う場合もあるそう。まあ、どんなことでも賛否はあるものです。
そして、私も正直、あえて舞台に立って「さあさあ、見て下さい、見て下さい!応援お願いしますよー!」というようなのは、気が引けるタイプです。
ゆえに、冒頭の「書籍を出版したら、ぜひクラウドファンディングとかやってよ。応援したいからさ」という言葉も、「うーん、そうだねえ」と曖昧に答えていました。
■応援はエネルギーのプラットフォームである
そうした私の、あまり乗り気でなさそうなリアクションをみて、言葉を重ねました。彼にしては、珍しくやや強めの語気です。
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「なんでかっていうと、『応援したい』って思ってても、
どうやって応援したらいいかわからない人が、たくさんいるんだよ。
だから、お願い。クラファン、やってね」
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とのこと。その言葉には、ハッとさせられる気がしました。
私は、「誰かを応援する」というよりも、「自分で何かにチャレンジする」ことを習慣としてやることのほうが好きなため、自分で自分を応援するという自己完結が多かった気がしました。
メルマガやnoteで応援のメッセージをいただくことはしばしばあるものの、お恥ずかしながら「応援をすることの価値」についてはあまり考えたことがなかった・・・そんな事にふと気づいたのです。
でも、世の中には、たくさん応援する人がいる。
そして、応援はすることによって、パワーが得られる。
それはマラソンの縁道で、ずっとフルパワーで声を張り上げている人が、「ランナーにエネルギーを送るとともに、受け取っている」という『エネルギーの循環』に近いようなもの。「応援の場はエネルギーのプラットフォーム」ともいえます。
たしかにそうした行為はあったのに、ふと冷静になると、「わざわざ時間を使ってもらって申し訳ない」という気持ちになっている自分もいると気づくのでした。
■応援により、更に本気になれる
そんなことを思ったのが、書籍化に向けてのプロジェクトで、100名ほどの協力が必要になりました。私の元来の「行動してから考える」という資質に伴って、予想外のこともあって、急遽、協力が必要になりました。
そして、Facebookやメールマガジンで、その協力をお願いしたところ、わずか2日で、110名を超えるアンケートデータが集まり、ありがたくて、暖かいものが満たされたような、そんな気持ちになりました。
同時に、助けてもらったからには、誠実にお返しをしたいという欲求が、高まっていきました。
今回の書籍では「自分の持っているものを全て注ぎ込みたい」という、自分を超えた何かを生み出していきたい、という強い思いが駆動していることを感じます。
そうしたモードに入れているとき、純粋に「応援してもらう」ことを受け取れるし、そしてその結果をきちんと皆に返したいというピュアなエネルギー交換が生まれている、そんな風に感じています。
そして応援によって、さら本気になれると感じます。
まだまだこれからが本番ですが、コツコツ読んできた強みの論文や実践を、一つの形にできるように最大限、尽力してまいります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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