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4452号 2026年5月4日

「なぜ私たちは歴史を学ぶべきなのか?」 ースタンフォード大学の研究よりー

(本日のお話 2331字/読了時間3分)

■こんにちは。紀藤です。

私事ですが、ゴールデンウィークに伊豆半島に来ております。

昨日は伊豆半島の山々を20kmのランニングからの、家族でドライブでした。

日本で一番深い湾である「駿河湾」の成り立ちや、下田のペリー来航ゆかりの地、反射炉などの幕末の歴史的な遺構も残っており、超長期的なものから比較的新しいものまで「歴史のつながり」を感じている休暇でございます。

さて、そんな中で、本日ご紹介したいのが「なぜ私たちは歴史を学ぶべきなのか?」という問いに関する、スタンフォード大学教育学教授のサム・ワインバーグが書いた論考です。

歴史を学ぶことのメリットについて、視点を新たにしてくれる内容でした。ということで、早速、中身を見てまいりましょう!

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<今回の論文>
タイトル:Historical Thinking and Other Unnatural Acts(歴史的思考とその他の不自然な行為)
著者:Sam Wineburg
ジャーナル:Phi Delta Kappan、1999年(Vol.80, No.7)
所属:スタンフォード大学 教育学部(Stanford University, School of Education)
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■30秒でわかる論文のポイント

・アメリカの歴史教育基準をめぐる論争は「どの歴史を教えるか」に終始し、「なぜ歴史を学ぶのか」という本質的な問いが置き去りにされてきた。

・歴史を学ぶには「身近な過去(自分に引きつけた歴史)」と「遠い過去(自分とは異質な歴史)」の両方が必要であり、どちらかに偏ると歴史理解が歪む。

・成熟した歴史的思考とは、名前や年号を覚えることではなく、過去の人々の視点に自分を寄せていく「他者の目で見る力」を育てることである。

・現行の歴史教科書はその姿勢を根本から省略しており、歴史的思考を育む設計になっていない。

・歴史を学ぶ真の意義は、ナルシシズム(自分の姿ばかりに世界を映して見ること)から脱し、人類の多様な経験に開かれた知性を育てることにある。

■「歴史的思考」とは

本論文のキーワードである「歴史的思考(Historical Thinking)」とは、単に過去の出来事を知識として記憶することではありません。
過去の人々の思考様式・価値観・社会的文脈の中に自分を置き、「なぜその人々はそう考え、そう行動したのか」を内側から理解しようとする認的にプロセスのことを指します。

これは自然に身につくものではなく、意識的な訓練を要する、ある意味で「不自然な」行為です。それがタイトルの由来でもあります。
本論文は、歴史的文書を用いた思考過程の観察・インタビューによる事例研究です。歴史家を含む人々が「どのように過去を解釈するか」という思考プロセスそのものを著者が比較し、主張を形作っています。

■論文のポイント

以下、私なりの本論文で主張している重要なポイントをまとめてみます。

◯⑴「どの歴史を学ぶか」という問いは、歴史教育の本質ではない

11人の著名な歴史家に「子供たちに学ぶべき歴史とは何か」と問うたところ、「いかなる回答も、歴史への合理的なアプローチというよりスローガンに似てしまう」という結論が返ってきました。
愛国心を教えるべきか、批判的視点を教えるべきか、という二項対立では問い自体が間違っており、そもそも「なぜ歴史を学ぶのか」という次元での議論が必要だということです。

◯⑵歴史には「身近な過去」と「遠い過去」の2種類があり、どちらかに偏ると理解が歪む

身近な過去(自分に引きつけられる歴史)は、自己のアイデンティティを固め、現在において自分の居場所を確認するうえで有効です。
しかし「使える過去」だけを拾おうとすると、自分の関心に沿わない膨大な事実を無視してしまい、歴史を「消費」するだけになります。

一方で遠い過去(自分とは異質な歴史)は、異なる思考様式・社会組織を持つ人々との出会いをもたらし、私たちの自己認識を揺さぶります。
人類全体の一員として自分を位置づける感覚は、この遠い過去との対話からこそ生まれます。

◯⑶成熟した歴史的思考とは「困惑を育む能力」である

リンカーンの人種観に関する文書を読んだ現役歴史家の事例では、知識量よりも「自分の知らないことを把握し、疑問を投げかけ続ける力」が成熟した歴史的理解に不可欠であることが示されました。
ワインバーグはこれを「困惑を育む専門性」と呼び、単なる知識の蓄積とは根本的に異なる能力であると論じています。

ちなみに、現行の教科書は著者の判断・強調・不確実性を示す「メタ談話」なるものを削除し、一次資料へのアクセスをほぼ遮断し、全知的な三人称で全知的に事実を語ります。
この構造が、読者が「他者の目で過去を見る」という体験を根本から奪っている、と述べていました。

■まとめと感想

本論文を読んで思ったこと。それはよく言われる「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉を超えた話だということです。

この論文からすれば、「歴史から教訓を引き出す」という行為も、歴史を道具としてみている形態であり、その機能の一つに過ぎないと述べます。
純粋に歴史を学ぶとはそこにある不確実なこと、不明なことも含めて、その時代の「他者の視点で物事を見ようとする姿勢」にこそある、ということでした。

本論文の最後では、このようにまとめられていました。(私なりの解釈で簡潔に述べると、こんな内容です)

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歴史を深く学ぶことで得られるものは、
・1.ナルシシズム、つまり世界を常に自分の姿に映して見てしまう傾向から脱すること。
・2.自らのイメージを超え、短き人生を超え、自分が生まれた歴史の瞬間を超越すること。
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歴史を学ぶとは、「他者の視点・他者の人生を自分の中に取り入れる」という知的作業と見ると、また「歴史」という学問の奥行きを感じるように思いました。

伊豆半島の地形の成り立ちに思いを馳せつつ、「遠い過去との対話」を少しだけ体験していたのかもしれないな、と今更ながら思った次第です。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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