「音声入力×生成AI」で記事を書くのをやめて、タイピングに戻った理由
(本日のお話:3089 字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
また妻の予定のため、子どもの療育の送り迎えなどでした。
*
さて、本日のお話です。
最近、「音声入力✕生成AIで記事を書く」という行為について、
疑問を持つようになりました。
「疑問を持つ」というよりも、より正確な感覚としては
「大事な人間の思考を生成AIに明け渡してしまっていたのではなかろうか…」
という、少しの後悔が混ざった、反省に近いかもしれません。
今日は、その「音声入力✕生成AIで記事を書くこと」の
メリット・デメリットについて書いてみたいと思います。
そして結果的に、「どのように書くのがおすすめなのか」を、
個人のn=1の経験から、思うところを述べてみたいと思います。
ちょっとマニアックな「書く人向けの記事」ですが、
よろしければお付き合いくださいませ。
それでは、どうぞ!
■「音声入力 vs タイピング」の研究でわかっていること
そもそも「音声入力してるよね?」ばりに書いていますが、
実際にどれくらいの人が音声入力を活用しているのでしょうか?
LINEリサーチの2026年2月の調査では、
スマホの音声入力を使用する人は「約3割」とのことでした。
また、生成AIの利用者100人を対象とした小規模調査だと、
その中の「56%」が音声入力を利用した経験があると答えたそう。
意外と、そんなに多くないようですね。
使わない理由の1位は「恥ずかしい」だそう。
なるほど…、言われてみれば、わからないでもありません(私は気にしない派)。
▽▽▽
さて、以前「音声入力 vs タイピング、どっちがいいのか?」という
比較研究の論文をご紹介いたしました。
この論文のポイントは
「何を書く(しゃべる)のか考える精神的負荷や努力は同じ」。
しかし「タイピングに比べて、音声入力の方が、作文でも29%早い」
という結論が示されていました。
■生成AIは「考える負荷」を肩代わりする
ちなみに、上記で紹介したものは2020年の研究です。
「音声入力」という純粋な手法とタイピングを比較したものです。
そう考えると、実務的に、大きく違うと思われることが1つあります。
「音声入力そのもの」と
「音声入力した内容を生成AIに整えてもらうこと(音声入力✕生成AI)」は、
似ているようで、別物だということです。
「音声入力」であっても、自分の考えを言葉にし、構成を考え、
表現を練り直すのであれば、「考える負荷」は残ります。
しかし、「音声入力 ✕ 生成AI」で文章の構成や言葉の補完まで任せてしまうと、
これまで自分で行っていた「考える作業」の一部まで、
AIが肩代わりすることになります。
生成AIは、たとえ話し手の言葉がおぼつかなくて、
話の重複があり、起承転結もよくわからず、
論理的にも意味不明…みたいな、読むに耐えない内容でも、
行間を埋め、違和感を緩和してくれます。
まるで、自分の中にある「パズルのピース」を、
思いついた順にぱぱっと投げると、
その中から生成AIが類推して、言葉を埋めて、
一枚の絵を完成させるよう。
さらに「自分の言葉や書き方」を学習させれば、
自分の言葉のように、作文は一瞬にできあがります。
その絵は、他者からすると「まるで本人が書いた」ように見える。
「考える負荷」は少ないまま、
「一応のアウトプット」はできるというのが当たり前になりました。
もちろん、「AIくさい」のは否めませんが。
■「楽に書きたい」。その果てに感じたこと
「楽にアウトプットができる」のは、ある意味では魅力的です。
私の話になりますが、私自身は「毎日note(メルマガ)を書く」
という習慣を己に課しています。
10年以上の習慣で、忙しい日も、風邪を引いた日も、
家族旅行の日も、繰り返してきました。
そうすると、「やめることができない」(やめる選択肢がない)という、
強固な習慣となります。
でも、正直書くのが億劫な日は、あります。
そんなに、毎日新鮮なネタばかりが出てくるわけでもない。
論文のまとめも、ネタ不足になることもある。
家族でのお出かけで時間がないときもある。
そうしたときに、「生成AIが考える負荷を肩代わりしてくれる」
というのは実にありがたいことでした。
だから、これまで「音声入力✕生成AI」を、
noteやメルマガの記事の作成に使ってきました。
▽▽▽
頭の中にあるパズルのピースを、音声入力でひたすらに7~8割喋る。
そして出来上がった「パズルの全体像」を見る。
自分の言葉じゃないと感じた箇所に、手を入れて、
味付けをして、修正し、アップする。
ただ、それでも、「自分のものとして感じきれない」という違和感が、
ずっと残ってきました。
一番は、その記事に「誇りを感じない」ということです。
というのも、「一旦出力されると、その内容にひっぱられる」からです。
パズルの7〜8割のピースを自分で用意しても、
残りの2〜3割を生成AIに埋めてもらうと、どこかに違和感が残る。
そして、一度完成した全体像を見ると、
そこから自分の言葉で組み直すのが、なかなか難しくなるのです。
「自分の言葉は細部に宿る」。そんなことを感じさせられます。
▽▽▽
さらにいえば、こうした記事の書き方をしていると、
「言語化の筋肉が痩せ細っているのではないか」と
感じることも増えてきました。
研修でも、言葉が出てこない。
自分が思ったことを、すっと言葉にしづらくなる。
これが生成AIの影響なのか、加齢なのか、ストレスなのかはわかりません。
ただ、「自分の言葉を、自分で探す」という行為が減っていたのは事実です。
これは、まずいな…と思いました。
■まとめ:一周まわって「タイピング」に戻った
さて、そんなこともあり、現在ですが、「タイピング」に戻りました。
自分がその場でタイピングしながら、
出力したものを、その瞬間に振り返る。
すると、書き記した言葉について、
違和感をその瞬間に感じて、言葉を直す。
よりしっくりする表現を探す。
その行為に「自分の言葉が浮かび、描かれる」という感覚を、
やはり覚えます。
これは「タイピングをする」ことのメリットです。
(1)スピードが遅くならざるを得ない
(2)一文を書くたび、目の前の言葉を見て、立ち止まり、考え直すことになる
この2つの作用が、タイピングにはあるからではないかと感じています。
「書く→見る→違和感を覚える→直す」という小さな循環を繰り返すことが、
自分なりの表現を生み出す上で、大事なのかもしれない、
そんなことを思うのでした。
▽▽▽
「書くこと」は「走ること」に似ています。
走ることで、肉体的に汗をかくと、脚は速く、強くなります。
書くことで、脳に汗をかくと、言語化の瞬発力は高まり、思考力も深まります。
こうした行為は、人間が手放してはいけない、
最も重要なところなのだな、と思いました。
パスカルの「人間は考える葦である」という言葉がありますが、
こうして考えてみると、「考えること」は、
やはり人間にとって大切な営みなのだろうな…と思ったり。
▽▽▽
ちなみに、「音声入力そのものが悪い」と思っているわけではありません。
移動中に思いついたアイデアを記録したり、
頭の中にある考えを一気に吐き出したりするときには、
音声入力はとても便利です。
ただ、「思いついたことを記録する」のと、
「自分の考えを文章として練り上げる」のは、
少し違う行為なのだと思います。
最近は生成AIに頼ることも増えていましたが、
「自分の言葉で書くべき」と思ったことは、
考える努力を、明け渡さないこと。
そして、自分なりの最適なバランスを考えながら、
柔軟に使っていくことが大事なのだろうな、そんなことを思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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