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503号 2015年3月27日

自分を守る情熱

■おはようございます。紀藤です。

昨日は、終日米国より、
「実行」の専門家である、
クリス・マチェズニー氏を招いてのイベントでした。

「7つの習慣」は”習慣”といいながらも、
実は、”習慣”にするのが、最も難しい…

しかし、この永遠の命題とも言える
研修やトレーニングの問題点を、
クリス氏は15年間の研究と、1500の組織への導入で、
その解決方法を見つけた、とのこと。

・習慣を習慣化するための秘訣
・決めたことを「実行」するための4つのルール

このことについて、
ご興味がある方は、説明用の映像もございますので、
よろしければご覧下さいませ。

■さて、先日の話ですが、
私、大きな本棚を購入しました。

皆さんも、きっと利用されていると思いますが、
「Amazonさん」のおかげで、
どこにいても、一瞬で本を買えるようになりましたね。

そのおかげか、
家の本棚がいよいよ溢れてきました…。

というわけで、
先週本棚を購入し、今まで読んだ本を整理していました。

その中で、10年程前購入した、
とある本が目に留まりました。

ちなみに、そのタイトルは、
『がんばりすぎてしまう、あなたへ』。
私が、新入社員の時、とある某有名飲食店で、
朝から朝(!)まで働き、
文字通り頑張りすぎていたとき、
そして、私が人生で最も心を病んでいたとき(汗)
吸い寄せられるように、この本を購入したのを覚えています。

久しぶりに見返していたのですが、
改めて「なるほどなあ」と思う内容がありましたので、
今日はそのお話を共有したいと思います。

(以下、『がんばりすぎてしまう、あなたへ。』から引用)

<自分を守る情熱> 


学生時代、私は随分といろいろな言葉に傷つきました。

ナマイキ、でしゃばり、八方美人…、そういわれるのがイヤで、
「もう言わないで」と懇願したこともあります。

私が言葉に敏感になった背景には、
「自分が言葉によって傷ついた数々の体験」があったのです。

その後、心理学を学び、何気ない言葉によって傷つくのは、
受け手である自分の意識に問題があるからだとわかり、
おどろきました。

言葉が人を傷つける凶器になるのは、
それを言われた本人が平気ではいられないとき。

その言葉に過剰に反応するのは、「それはよくない」とか「イヤだ」
という観念にしばられている場合です。

たいていは、その言葉を自分のコンプレックスと結びつけて忌み嫌い、
自分で自分の傷口をえぐってしまうんですね。

人はみんな、自分の概念と感情で、勝手に言葉を使います。

だから、あなたがどんな発言にも傷つかずに凛としているためには、
過剰な反応ともいうべき、「思いこみ」をやめるしかありません。

「だれの言葉にも傷つかない自分になる」という気構えを持ちましょう。

自分を守るためには、そういう情熱が必要なのです。


『がんばりすぎてしまう、あなたへ』(著:宇佐美百合子)


■いかがでしたでしょうか。

「なるほどなあ」

または、

「そうは言っても…」

色々なご感想をお持ちになられたかもしれません。

この中で私が感じたこと、
また、ぜひ皆さまと共有したいのは、
以下の部分です。

それは、
”言葉が人を傷つける凶器になるのは、
 それを言われた本人が平気ではいられないとき。
 その言葉に過剰に反応するのは、「それはよくない」とか「イヤだ」
 という観念にしばられている場合です。”
というところ。

ここで伝えている内容、すなわち、
<結局は、その言葉自体が傷つけるものではない。
 自分の観念で、「イヤなことだ」と解釈した瞬間に、自分が傷つく>
という部分、ここが、
私が、
「まさしくその通りだなあ」と
思ったところでした。


■というのも、実はこのこと、
「7つの習慣」においても
「第一の習慣 主体的である」という習慣において、
同じような事を言っているのです。

それは、こんな言葉でお伝えしています。
【刺激と反応の間に、スペースを空けましょう】
と。

少しわかりづらいので説明させてください。

ちなみに、【刺激】とは、
「イヤなことを言われた」のような
”ネガティブな衝撃”、というイメージのものです。

「反応」とは、刺激を受けて、
「ムカつく、嫌い、傷ついた」など、
”自分がついとりがちなリアクション”のようなものです。

では、
「刺激と反応の間にはスペースがある」というのは、
どういうことか。

ここで言いたいのが、
「刺激」があったときに、私達には、
”「反応」を選ぶ力”がある、
ということなのです。

まだわかりづらいですよね(説明ベタで、スミマセン)

少し具体的に考えてみます。

先の話で言うならば、
「イヤなことを言われた」からと言って、
「ムカツク、嫌い、話さない」と必ずしもならなくてよい、
という話になります。

つまり、
「イヤなことを言われた」としても、
「彼(彼女)の言っていることは、その人の些細な意見でしかない」
と聞き流す、という選択もできる、
という話になるわけです。

そして、選ぶのはあなた次第ですよ、と。


■とはいっても、
「腹立つものは腹が立つ」
「イヤなものはイヤ」
という声も聞こえてきそうです。

確かに思ってしまうことは、
自然とそう思ってしまうし、
なかなか変えられない、
確かにその通り。

しかし、先ほどの著者の宇佐美さんは、
こうも言います。

”人はみんな、自分の概念と感情で、勝手に言葉を使います。
 あなたがどんな発言にも傷つかずに凛としているためには、
 過剰な反応ともいうべき、「思いこみ」をやめるしかありません。“


■結局は、自分次第ですが、
「皆、勝手に言葉を使っている。
 そんな言葉にイチイチ腹が立っていたら、きりがない」
と”思うようにする”という選択は、自分でもできる。

これは一つの事実のようにも思うのです。

組織の中、人間関係の中で生きていると、
様々なことが起りますが、
<刺激と反応の間のスペース>
意識して、「場合によっては聞き流す」
という選択を取り入れてみると、
より生きやすくなるのかもしれませんね。


最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。
今日が皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。

【本日の名言】 絶望的な状況はない。
絶望する人間がいるだけだ。

             ハインツ・グデーリアン

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