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1756号 2018年12月9日

「学ぶほど、わからなくなるプロセス」を経て、知識は成熟し、学びは深まり、そして本質が見えてくるもの

(本日のお話 1763字/読了時間2分)


■こんにちは。紀藤です。

昨日金曜日は、個別コーチング6件。

夜は、友人のHRテックのベンチャー企業、
『株式会社ZENKIGEN』に会社見学へ。

https://zenkigen.co.jp/

「HARUTAKA(ハルタカ)」という
WEB面接/動画面接で採用力を強化するサービスを展開している、
今をときめくスタートアップですが、

今後の可能性、描く未来、
そして働くメンバーの尋常じゃない優秀さに、
大変刺激を受けた次第。

自分ももっと頑張らねば、
本当に、ちっちゃくやってる場合じゃない、、、
しかし、でかく挑戦することにビビっている自分もいる、、、

そんな葛藤を抱え、心の中で、足を震わせた夜でした。




さて、本日のお話です。

最近、「ストレングス・ファインダー」を含め、
各種ワークショップを行っています。

12月も、合計5回(現時点で)
のワークショップを企画しており、

”伝えること”

を通じて、自らが大変勉強になっていると感じる、
今日この頃です。


本日はそんなワークショップの
日々の運営を通じて、感じたこと、学んだことについて、
皆さまにご共有させて頂きたいと思います。


タイトルは、


【「学ぶほど、わからなくなるプロセス」を経て、 
  知識は成熟し、学びは深まり、そして本質が見えてくるもの】。


それでは、どうぞ。



■「学び」というものは、実は、

”学び始め”

が一番気持ちよく、
そして楽なものである、

と感じています。


というのも、

「学び始めたとき」

というのは、まだ情報も少なく、
かつ「基本」という名の、骨格の中心から知り始めるので、
物事がシンプルに見えるからでしょう。


ゆえに、自分の中の理解でも、
矛盾が生じにくい。

だから、

”気持ちが良い学び”

になりえるのだろうな、と思います。


■しかし、不思議なものです。

学べば学ぶほど、理解が深くなって、
ますます面白くなりそうなものなのに、
なぜだが学ぶほど、よくわからなくなってくるのです。

基本編→応用編、

応用編→超応用編

超応用編→番外編

となってくると、
その「情報量の多さ」にそもそも思考がついてこなくなる。

あるいは、思考が慣れてくることで
「より細かい部分」に意識が向く。

すると、これまで沸き起こらなかった疑問、
しかも、マニアックな、答えようにも答えづらい疑問が、
新たに湧いてくるのです。

すると、

「理解したつもりだったのが、理解していなかった」
「今まで理解していた気になっていた」

ということが、白日に下のにさらされるのです。

実は深い部分では、自分自身が
まだまだ学び切れていないことを、
目の当たりにされるのです。


■例えば、本日行った、

”ストレングス・ファインダー・ワークショップ(応用編)”

も、そう。

何度もワークショップを重ね、
以前の自分よりは知識も経験も身についていることは間違いない。

しかし、より細かい部分、
深い部分を問うていくと、
自分の中でも、更に、深い疑問が出てくるのです。



今日参加された方の質問でも、
こんな内容の話がある時に、思うのです。

・「未来志向」を活かすための、
  具体的なアクションプランは、どんな種類があるのか?

・「運命思考」の扱い方の、ベストな方法とは?

・「原点思考」はどうやったら、”生産性”に寄与できるのか?


、、、などなど。


自分なりの答えがある、と思っていても、
口に出すと、まだまだ深いものがある気がする。

自分の中で、問に対して、
「揺さぶり」を感じるのです。

そして、まだまだ自分が、
「学びの途中」であることを知るのです。


■もちろん、特定の疑問には、

数学の方程式のように、
「1+1=2」のような、スッキリした、
誰しもに当てはまる答えは無いことも多いもの。

特に、「自己理解」のような、

”「心」「人間関係」のような人間ならではの問い”

については,

”納得解を探すプロセスそのものが答え”

という、なんだか雲を掴むようなモヤモヤした話自体が、
が答えだったりする、という側面もあります。

しかし、それでもなお、
安易にその答えに逃げずに、

・”他の人はこうしている”

・”自分の理解では、Aパターンと、
 Bパターンと、Cパターンがある”

・”あなたの場合は、こうした方が良い”

、、、

というような、自分ならではの、

「圧倒的な、経験と実績」

に基づいた知見を提供できてこそ、実は

”本当に、深い部分まで考え抜き、理解している、
 その道に本物のプロフェッショナルである”

と、胸を張っていえるのだろう、
そのように感じたのです。


■これは仕事のスキルであれ、
「学び」の特定の分野であれ、同じことでしょう。

どんな分野でも、

「入り口はシンプル」

なのですが、その道を突き進んでいくと、
ほとんどすべての場合において、


”「理解」が進むがゆえの、混乱”

”「学び」が深くなるがゆえの、葛藤”

”「知識」が増えるほどの、矛盾”


という、シンプルで片付けられない領域に、
必ず足を踏み入れるように思います。


しかしながら、そのプロセスを経ることで、
「学び」は本物になっていくし、

その経験がもたらすものも、
他の追随を許さない付加価値となっていくのであろう、

と思います。


ゆえに、シンプルなだけで理解しているうちは、
まだまだである、


【「学ぶほど、わからなくなるプロセス」を経て、 
 知識は成熟し、学びは深まり、そして本質が見えてくるもの】、


それを、”習熟度の一つの基準”、として捉えてみると、
またその世界のプロフェッショナルになるべく、指針となるかもしれない、

そう、感じます。

強い自戒を込めて、
改めて学びの旅路を続けていこう、

そう思った次第です。

本当に、簡単なことはないんだなあ、と思いつつ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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<本日の名言>

真理の大海は、すべてのものが未発見のまま、
私の前に横たわっている。

アイザック・ニュートン
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