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2255号 2020年4月23日

日本最初の100年前の哲学書から考える、「言葉」のコミュニケーションの限界

(本日のお話 2133字/読了時間2分半)


■おはようございます。紀藤です。

昨日は、3件のアポイント。
並びに午後から1件のマーケティングのセミナーへの参加。

そして夜からは、現在学び中の
システムコーチングのトレーニングでした。



さて、本日のお話です。

ここ数日、食事をしながら

NHK『100分de名著』シリーズ
を見ているのですが(行儀が悪いかな、、)

その中の「善の研究」(西田幾多郎)を見ながら
昨晩も、妻とともにあれこれ話しをしておりました。

その内容の一部が、
「他者とのコミュニケーション」の上で
とても大切なことだな、とも感じましたので

本日はそのお話について、皆さまに
学びと気付きをご共有させていただきたいと思います。

タイトルは



【 日本最初の100年前の哲学書から考える、「言葉」のコミュニケーションの限界 】



それでは、どうぞ。





■今から100年前に出版され、

日本語で書かれた、
日本最初の哲学書と呼ばれる

『善の研究』(著:西田幾多郎)

という本があります。


同時にこの本は
「難しすぎて読めない」
とも言われております。

しかし累計発行部数は約100万部。

岩波書店の累計ベストセラーの第4位に位置する、
非常に著名な作品(らしい)です。



■私も哲学は結構好きなのですが、
2年ほど前に読もうと買ってみましたが

さっぱりなんのことやら、、、

という感覚を持ち、
ただただ本棚の肥やしとなってしまいました(汗)



■そんな西田幾多郎氏のベストセラー。

読んだわけではないのですが
NHKの番組『100分de名著』にて
全4回で放映されていました。


実際、その本の内容を
私がこの場で要約することは
まだ心と頭の準備ができていないので
また別の機会とさせていただきます。

、、、が、その番組の中で語られていた
一つの話が大変印象的だったのでした。

そのテーマは

『言葉のコミュニケーションの限界』

についてです。



■西田幾多郎氏は

「純粋経験」
(=解釈や経験が入らない、ありのままの状態を体験すること)

の大切さを語っており、
彼の哲学の中心となるキーワードです。

このキーワードについて
東京工業大学の若松英輔教授が、
このように解説していたのでした。


『近代はいろいろなものを、
 ”言葉の枠”に入れて考えてきた。

 言葉を使って、私たちが説明しうるものに
 小さくしているのではないでしょうか』

とのこと。



■、、、さて、このニュアンス、
なんとなくわかりますでしょうか。


「言葉」というは、記号であり、
伝達の一手段でもあります。

自分の中にある、時に形容しがたい
思考・感情・感覚を、

半ば無理やり、
制約をもつ「言葉」という記号に置き換え、
組み合わせて他者に伝える。

これが

「言葉を使ってコミュニケーションすること」

だと思われます。



■ただ、それが

書き言葉(文章)であれ
話し言葉(会話)であれ

自分の内側に渦巻く、
複雑な思考・感情・感覚を
100%余すことなく相手に伝えることは
極めて困難な技巧です。


一部の文豪と言われる人は、
それを適切な表現に落とし込み、

繊細かつ解像度が高い思考や感情を、
多くの人に言葉として伝えることができる
「言葉のプロ」です。

でもそれはほんの一部。
そのレベルで言語を操れる人は、芸術の域です。



■文章を書く、
話して伝えることを生業としている人も、
多少明るいところはあるでしょうが、

ほとんどの多くの人は、

”「言葉」というツールを
 自分の思考・感情を言語化して
 自在に使いこなすことが難しい”

のが現実でしょう。



■今、私もこのように

「言葉について思うこと」

を文章として記述していますが、
本当はもっと色々と思うことがあります。

ただ、言葉にする限界かつ、
他者に受け取ってもらえる表現の限界が、

「このあたりである」というのが、
ここまでの記載内容であり、
普段のメルマガの内容です。


先程、若松教授が解説したとおり、


『言葉の枠は、説明しうる小さなものにする』


という特徴を持つのです。



■そして、なぜこのことを、
熱っぽくお伝えしているかというと

この

『言葉の枠は、説明しうる小さなものにする』

という前提を持っているか持っていないかは、

”相手とのコミュニケーションのスタンスを
 大きく変えうるものである”

と考えるからです。



■目の前にいる相手から発せられる「言葉」の裏側には、
膨大なる思考・感情・感覚があります。

それは、時に言葉にしている本人すら気づいていない、
複雑な、地底にあふれるマグマのようなイメージ。

そこから、一部の強い「感情」が湧き上がってきて
そして、その中の更に一部を「思考」として認識し、
それを「言葉」にしているにすぎない。

この感覚を、もし持った上で
相手と対峙するのであれば、


「今、目の前の相手から発せられている言葉は、
 相手の深いものを一部表明したにすぎない」


という前提で
相手を尊重し、汲み取ろうとし
コミュニケーションを意識することが
初めてできるようになる、とも思います。

そういう思考がないと、
言葉尻を捉えた表面的な対話になってしまいます。



■すると、

相手の言葉にならない思いを含め
他者の中にある様々なものを想像するアンテナが高まり、

それが

「あの人は分かってくれる」

ということに繋がるのであろう、

と思っています。




■今オンラインでのコミュニケ―ションが、
急激に増えており、相手の言葉の裏の行間を
とても読みづらくなっています。

元来人とのコミュニケーションは、
言葉という枠にはめたものだけではない、
ということを体感している方も多いのではないでしょうか。


そんな流れの中で、
西田幾多郎氏の本を題材に、

『言葉の枠は、(本来のものを)説明しうる小さなものにする』

という前提を持ち、

【「言葉」のコミュニケーションの限界】

を考えて相手と向き合うこと。

このことが、人と対峙する上でも、
もっと大きく言えば、コミュニケーションなど
限定的な枠ではなく、世界を認識する上でも
向き合うべき重要なテーマではなかろうか、

と思った次第です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も、皆さまにとって素晴らしい1日となりますように。


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<本日の名言>

もし事実と理論が合っていないとしたら、
捨てるのは理論の方ね。

アガサ・クリスティ(イギリスの推理小説家/1890-1976)

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