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3187号 2022年11月12日

「論理的に語る」が苦手な理由とは ー型の使い分けが大事-

(本日のお話 2035字/読了時間2分)


■おはようございます。紀藤です。

昨日は2件のアポイント。
その他研修の企画など。
また、夜は会食への参加でした。

お久しぶりにお会いできた人事の方もおり、
以前からの繋がりの大切さを感じた1日でした。



さて、本日のお話です。

気づけば11月に入り、
今学んでいる立教大学大学院(LDC)も
2年次となり最終コーナーを回った、
という印象を持っています。


最後の課題はプロジェクトを実施し、
そして「論文にまとめる」わけですが
この”論文”というものがなかなか曲者です。。。

真面目に考えるほどに
難しさを感じる今日このごろです。


本音はサッサと終わらせたいのですが、
そうもいかず、今は

「こうした取り組みを通じて
 論理的に語ることについて自信をつけるための
 とても有効なトレーニングになる(はず)」

と感じ、真面目に取り組もうと
本などもを読み直し、取り組んでおります。


今日はそんな論文をテーマに
読んだ本からの学びを
ご共有させていただければと思います。

それではまいりましょう!


タイトルは


【「論理的に語る」が苦手な理由とは ー型の使い分けが大事-】



それでは、どうぞ。



■”論理的に語る(書く)”。


こうしたことを求められると、
私の場合、胸がきゅっとして
警戒モードが発動します。


大学院の授業でも、
同期の仲間が極めて高度な論理性を持って

「問いはなにか」

「結論はこう」

「それはなぜそう言えるのか
 理由1はコレコレ
 理由2はソレソレ
 理由3はドレドレ」
 
とスラスラと語っていると

凄いなあという尊敬の眼差しと共に、
ちょっとした失望感を感じておりました。



■心の中で

”ああ、自分は
 論理的に考えるのは苦手だな”
 
”自分は直感型の思考だから
 仕方ないな”
 
などと言い訳をしながら。。。



■ただ、

物事を書くこと自体は
あるいはしゃべったりすることは
さほど苦手ではないわけです。

・「論理的に語ること」
・「ただ語ること」

この2者の違いはどこにあるのか。


このことについて

『新版 論文の教室 レポートから卒論まで』
戸田山 和久 (著)(NHKブックス)


にて、その違いを答えてくれるような
一節に出会いました。


それは、「論文と天声人語の違い」というお話です。

以下、引用させていただきます。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ーオレが小学生のときに隣のクラスでは、
 作文の練習だってんで、『天声人語』を要約する宿題が
 毎日出てた。全くナンセンスだよな。

 
ー『天声人語』って朝日新聞のアレですか。


ーそう。朝日のコラムね。あれは「論」じゃないの」。

 たとえば、コロナ禍で注目されるようになった、
 指先を挟むだけで血中酸素飽和度を測定できるパルスオキシメーターの話。
 
 ”そういえば”これは誰が発明したのか、という話題になり、
 日本光電工業の技術者(青柳卓雄氏)による開発秘話を紹介し、
 
 ”そういえば”青柳氏が一年前になくなったことに触れ、
 
 ”そういえば”青柳氏はイェール大学の名誉教授によって2013年の
 ノーベル賞に推挙されていたというこれまた「秘話」を紹介したあと、
 日本人の発明なのだから日本でもっと評価されてしかるべきだとまとめる。

 (中略)
 
 つまり、このコラムの売りは、
 飛躍と連想(「そういえば」)なの。
 
 どこまで飛べるか、とうか、
 とっぴなもの同士をいかにうまく結びつけるかというのを
 楽しむんだよね。
 
 論理的につながっていない文章だから、
 そもそも要約なんて意味がない。
 
 アレを「論」の見本にするのは大間違い。
 
※戸田山 和久(2012)『新版 論文の教室 レポートから卒論まで』P94

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)

とのこと。



■なるほど、、、。

天声人語は「飛躍+連想(そういえば)」で
とっぴなものを結びつける着想的な楽しみがウリ。

論文は「問い+答え+論拠」で
つながりを分析的に語る論理性・現実性がウリ。


そう考えてみると、

同じ「語り」でも、
全く違う型であることに
改めて気付かされます。



■そんなことを考えると

”話す”とか”書く”という
表面的な行為は同じでも、

話が分かりづらい人や
話しているけど説得力を持たないときは

「型の選び方を間違っている」

ケース、往々にしてあるのでは、、、
とこの話で気付かされたわけです。


例えば、

ディスカッションの文脈が
現実的な解を求めているときに、

飛躍と連想的な”型”を使って
拡散して、まとまりが無くなってしまったり

とか、

逆に楽しくアイデアを発散させたいときに
問い+答え+論拠の方に囚われすぎて
自由な発想を妨げてしまったり、

、、、というように。

■私事ですが、まさにこのメルマガは

飛躍と連想を重視型で
発散して楽しんでいました。

おそらく、自分の思考も
そちらのほうがもともと好きなのでしょう。

それを、大学院入学後は
「論文まとめ」トイウテーマで

(背伸びして)論理的な方向に
ややシフトしている、というの現状にも、
この話を読みつつ、気づいたのでした。

(どっちが読者の方にとってよいのかはわかりませんが
 読者層は変わっている気がします)



■そう考えると、

1)自分が得意とする”型”に
  自覚的になること
  
2)文脈に応じて、
  必要な”型”を意識して使うこと

は効果的な対話・議論において
有用なヒントではなかろうか、

そんなことを思ったのでした。



■書けないことは、
語ることができないわけですから

自由に使えるようにするには、
論理的に書く「練習」も役に立つはず。


ということで、自戒を込めて、
論理性を鍛えたいと思いました、

というお話でございました。

(という話を
 飛躍と連想で書かせていただく、
 の巻でした苦笑)


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

「そんなに難しいことはできない」と言う前に、
まずやってみることです。
結論はそれからでも遅くありません。

ラルフ・ワルド・エマーソン
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