メールマガジン バックナンバー

4085号 2025年5月2日

生成AIに任せて良いもの、悪いもの

(本日のお話 2356字/読了時間3分)

■こんにちは。紀藤です。

昨日は10kmのランニング。
また2件のアポイントでした。



さて、本日のお話です。

最近、生成AIの活用に日々勤しんでいます。

昨年のハーバード・ビジネス・レビューの記事「専門家570名が予測する仕事の未来」で、「2025年、テクノロジーにより労働者は常にリスキリングやアップスキリングを求められる」と書かれていましたが、まさにその渦中にいるな・・・と感じます。

オールラウンダーとして、ChatGPT,Gemini、GoogleAIstudio、Claude。
生成AI検索では、Perplexity、Felo。
情報のまとめとして、NotebookLLM。
スライド作成で、Gamma。

どれもアゴが外れそうなレベルですが、アゴが外れるすら慣れて、いつでもカックンカックン、アゴを外しては戻す日々が続いています。

ただ、まさにこれは、FAXからメールに移行したように、
またインターネットが登場したように、大いなるパラダイム・シフトなので、学ぶのは必須だと感じます。

▽▽▽

そんな中で、「生成AIに任せて良いもの、そうではないもの」について、個人的に思うことがありました。今日はこのことについて、言葉にしてみたいと思います。

■生成AIは「コストを減らす」

・・・さて、そんな「AI」ですが、一言で何を実現してくれているか?

2週間に一度参加している生成AIの勉強会では

「生成AIは”コストを削減”する」

と述べていました。

コストとは、色々あります。たとえば、今私が書いている記事を、「書く(タイプする)」というのもコストといえばコスト(=音声入力のほうが早いという意味)ですし、「誤字脱字をチェックする」のもコストです。

他にも、人が行う様々な作業があります。

「単純作業」から「集める、保存する、探す、読み解くなどの思考を伴う活動」まで、単純作業と思索が必要な行為へと、地続きのスペクトラムで表現できそうです。たとえば、こんな感じでしょうか。

―――――――――――――――――
<AIが削減するコストの例>
(1) 入力・校正コスト
例:誤字脱字チェック/書式統一/音声→テキスト変換
(2) 収集・保存コスト
例:Webスクレイピング/参考資料の一括ダウンロード/ファイル命名の自動付与・クラウド一元保存
(3) 検索コスト
例:大量フォルダ・メールからのキーワード検索/日付・人物の抽出/類似文書の自動提示
(4) 読解・要約コスト
例:長文レポートの要約/論点整理/複数資料の比較表作成
(5) 思索コスト(仮説生成・戦略立案コスト)
例:市場分析からの新規事業アイデア/研究仮説のブレインストーミング/戦略オプションの比較
―――――――――――――――――

さて、実際に、まさにこれを「ChatGPT o3」で作成をしてみたわけですが、確かに「タイプする時間、調べる時間、整理する時間」などが削減されました。

ただ、いつもこの場面で、ちょっとだけ、モヤッとするのです。
言葉にならない、この感じはなんだ・・・?

■「コストを削減する」ことで失われるもの

その「モヤっと感」の原因。

それは、「自分の言葉ではない」ことです。

たとえ、AIが自分のことを学習し、その言い方を模倣していて、
そのためのプロンプトを精緻に作って、他の人から見分けがつかなくても、それは自分ではないのです。

ピアノの自動演奏はミスなく美しいかもしれないけれど、
人間が弾いたリアルな”揺れ”は表現しづらい。
人工的に”揺れ”は作れるかもしれないけれど、そこには温度がない。

そのことが自分でもわかる中で、
それを自分のアウトプットとして出すことに、
ちょっとした気持ち悪さを感じるわけです。

お父さんに手伝ってもらった夏休みの工作を、
自分が作ったかのように提出するような、そんな感覚です。

うーん。やっぱり気持ち悪い。。。

■コストを削ると「自分らしさ」も削られる

人間が、自分の経験を言葉にしたり、まとめるには、
「内省や思索のプロセス」が必要です。

「まとめる」「振り返る」こうしたことも、生成AIに任せて、代わりに考えてもらって、比較的フィットする言葉を並べてもらうこともできるでしょう。すると、省エネでラクチンです。

実際に、私もそう思って、ここ2週間くらい、
生成AIを活用して記事を書いてきました。

「論文のまとめ」も、自分の過去データを読み込ませて、それっぽく自動で書くプロンプトを生成してみました。

また、音声入力で作ったデータを、「note記事_整形ボット」というツールをつくって、それでnote記事をつくってみたりもしました。

たしかに早い。量もしっかりかける。
流れも自然、自分の言葉を真似てくれる。

・・・でも、違うのです。

何が違うかは、先ほどお伝えした通り、
「どこか、自分の言葉ではない」ということです。

大きくいえば、「自分という人間らしさすら削られた」と言えます。

■生成AIに任せて良いもの、悪いもの

では、何を生成AIに任せて、何を任せるべきではないのか?

私なりの、そして現時点の考えですが、
「単純作業やルーティン的なもの(上記の表の1~3)」は
生成AIをフル活用していけばよいと思います。

しかし、「内省や思索のプロセス(上記の表の4~5)」は、
「そのプロセスに価値がある」可能性があります。
よって、安易にコストとみなすことには慎重になった方が良いと思います。

たとえ、多少遅くなっても、
自分自身が納得いくスピードで、
自分の頭と手を使って、考え、言葉にする。

実は、コストと思っているところに、価値がある。

私たちは「生産的になる」ためだけに生きているのではなく、
「より良く生きる」ために生きています。

AIに任せること、任せないこと。

このあたりも考えていくことが、
これから大切になりそうですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

※本日のメルマガは「note」にも、図表付きでより詳しく掲載しています。よろしければぜひご覧ください。

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