読書ではなく、「戦い」と考える。向き合う姿勢を考えることで、定着率は格段に上がる
(本日のお話 1987文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
ならびに、夕方からは、ひたすら読書、読書。
「世界史」について、現在5冊ほど
同時並行的に本を読んでいます。
しかし、このジャンル(歴史)については、
まだまだ知らないことが多すぎて、読むことに
一苦労どころか、四苦八苦しております。
しかしながら、この機会に全力で吸収すれば、
これからの人生における「知恵」になるのだろう、と思いつつ、
気合を入れて読み進めております。
*
さて、本日のお話です。
今日は、上記の話に関して、
「読書」について思うところをお伝えいたします。
いまさら“「読書」の大切さ”を
皆様に語るつもりはないのですが、
ある短期間で、物事を吸収しようとするとき、
「心がける大切な姿勢」はあると、私は思います。
タイトルは、
【読書ではなく、「戦い」と考える。
向き合う姿勢を考えることで、定着率は格段に上がる】。
それでは、どうぞ。
■学生時代、誰もが
一度は経験したことがある”一夜漬け”。
私も例に漏れず、
”一夜漬け”の経験がままあります。
(むしろ、殆どそれで乗り切ってきたような)
殆どは「乗り切るだけ」のレベルだったのですが、
たしか中学2年か3年のある時。
猛烈にスイッチが入ったときがありました。
そして、
「トランス状態で一夜漬け」
をしたことがありました。
机に書きなぐるような形で、
「なぜ?なぜ?」と教科書の内容を、
自分の疑問の思うままにそこら中に書きなぐり、
試験の教科書のページを無視して
あっちへ飛び、こっちへ飛び、
気づけば朝を迎えていた、
そんなときがありました。
■ちなみに私は、
頭の出来が優秀なわけでもなんでもなく、
今も昔も、一般的な普通の人だと思っています。
ただ、そのときばかりは、
「脳細胞の一つ一つが活性化して、
あらゆることを吸収できた1日」
であったと、今でも鮮明に思うのです。
そして、トランス状態になった結果、
その試験の結果は、学年で2位と、
やたらと良い成績だったのでした。
(その時だけでしたが 汗)
■同様に、同じような話はしばしば聞きます。
・MBAの取得のために留学をしていた友人。
その時は、物凄く集中して知識をはじめ、
あらゆることを叩き込み、
結果、自分でも驚くような成長だった。
という回顧録とか、
・転職をしたある時、学ばざるを得なくなり、
マーケティングの本を読み漁って、
1ヶ月立たないうちに、その周辺の知識を一気に獲得した、
とか、勉強以外でも、
・ウルトラマラソン100キロ完走のために、
毎週末フルマラソンを1ヶ月走ったら、
足の筋肉に革命的な進化が起こった(私)、
などなど。
人は、「集中する」と、思った以上に
“成長の伸び率”をもたらせるものです。
そして、
”成長の伸び率”を「開放できるか否か」
は、決して運などではありません。
その「成長の伸び率」を決めるものとは、
【1分1分、戦いのごとく、
集中して取り組んでいるか】
という、覚悟や本気度である、
私は、そう思います。
■受験の時に、わずか1年で
多くの成長を遂げた、あらゆる知識を洗練させた、
という人、少なくないと思います。
しかし、社会に出て仕事が始まると、
「日中は仕事があって忙しい」
「なかなか時間も取れない」
そんな理由で、勉強をする機会も少なくなる人も、
きっと多いのではないだろうか、と思います。
しかし、もし、日々成長を願い、
その先に、世への貢献を考えていくのであれば。
限られた時間だからこそ、
より濃密に、急角度で吸収できる
工夫をすることが大事になってくるのでしょう。
そして、そのためには、
【1分1分、戦いのごとく、集中して取り組む】
という姿勢、
燃えるような気概が必要になる、
私はそう思うのです。
■最近、何かを吸収しよう、
自分のものにしようというスタンスで本を読んでいると、
“「読書」という表現は、何となく違うな”
と思うようになってきました。
楽しく、小説を読み進める、
という読書であれば、「読書」という感じなのですが、
こと、”短期間”で
・未知の世界を探求する、
・事実を理解し、自らの見識を拡げる、
・教養として知恵を深める
という目的で読書をする場合、それは
”「読書」でなく「戦い」と呼ぶ”
ほうが、しっくりくる気がします。
本を、色ペンで汚しながら、
著者に対して、「なぜ?なぜ?」と疑問を投げかける。
インターネットや他の本も駆使しながら、
探求の旅をする。
ただ、文字を追うのではなく、
感覚を研ぎすませて向き合う。
静かな場所で集中して
一分一分を惜しむ。
1時間あっという間に時間が経つほど没頭し、
5分休む。そしてまた読み進める。
戻ったり、先へ行ったりを繰り返したり、
疑問や理解を書き込んだりする。
そんな工夫が、
「ガチンコの読書(戦い)」ではなかろうか、
そして、そのスタンスが学びを深めてくれるのではなかろうか、
そのように、私は思っています。
■パッと見、同じ「読む」という行為でも、
「読書の質」
には差があるもの。
この「読書」は、
自らの血肉にする「読書」(戦い)か。
自らの言葉として伝えることができる「読書」(戦い)か。
「自分の知恵」に昇華することができるような「読書」(戦い)か。
行為を行っているときの、
“自らのあり方”に目を向けること。
そうして、より密度の濃い1分1分にしていくこと。
【1分1分、戦いのごとく、集中して取り組む】
そうしてこそ、得られるものも大きい、
そう思った次第です。