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1150号 2017年4月8日

人が変わるための、最強のドライバーとは◯◯◯◯である

(今日のお話 3245字/読了時間3分半)
■こんにちは。紀藤です。

昨日は1件のアポイント。

また、自社内でも運用している、
”戦略実行”の取り組みについて、
セールスチームの指標を皆で刷新。

喧々諤々話をしましたが、
なかなかよい”先行指標”&”スコアボード”ができそうな予感。
楽しみです。

また、夜は中学校の時の幼馴染であり、
私の全ての原点となった親友と数年ぶりに再開。

靖国神社のそばで
お花見ブルーシートと缶ビールを片手に、
今は自衛官として働いている彼と、

昔の想い出話、だけでなく、
「国とは何だろうか?」とか
「これからの日本はどうあるべきか?」
について、語り合っていました。

興味深い場所で、
興味深いディープな話でしたが、
本当に楽しい時間でした。



さて、本日の話です。

昨日久しぶりに再開した親友。
”彼は私の原点である”と書きましたが、
それには理由があります。

今日はその話の理由を絡めて、


「人が変わるための、最強のドライバーとは◯◯◯◯である」


というテーマで、
思うところをお伝えさせていただきたいと思います。

それでは、どうぞ。

■私の原点は、おそらく、
幼少期から中学生時代でした。

多くの人もそうかもしれませんが、
私もその頃に今の自分ヘといたる、
物語が始まっていたように思います。


昨日、再開した親友は、
私の小学校、中学校時代の憧れの存在、
ヒーローでした。

小学校、中学校でも、
生徒会、学級委員長、部活のキャプテンなどを務める。
バレンタインには数多の女の子からチョコ。
女の子にもモテまくる(笑)本当に輝いた存在でした。

一方、私といえば、

当時、身体も小さく、
運動も全然できず、鼻水をいつも垂らし、
ハンドボール部の背番号も、14番中14番。
中3なのに、中2にバカにされる。
そしてチョコをもらう親友の隣で鼻水を垂らす(汗)

そんな屈辱的な中学時代でした。


当時の過去を親友とともに、
お互い振り返りながら


「やっくん(私のこと)、変わったよね」

と親友から言われたのですが、

「今の自分があったのは、
 T君がカッコよくて、凄すぎたからだと思うよ。
 あの頃は、本当にコンプレックスしかなかったよね(笑)」

と、答えたのでした。


■少し話が変わりますが、
私は仕事柄、たくさんの方と会います。

大体、初めて会う人同士だと、
どうしても相手の顔がわからないため、
緊張とか、警戒が生まれるもの。

ですから、それを緩和する一つの工夫として、
”ぶっちゃけた自己紹介文”を書いており、
自ら最大限に胸襟を開くようにしています。


「自分がどんな人物か?」
「どんなことで迷ったり傷ついたりしたのか?」
「なぜ今、この会社で働いているのか?」


先述に少し”幼少時代の話”を含め、
赤裸々に書き記しています。

そこではこのように書いています。


先にあげた、親友の話の原点の続きです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<紀藤の幼少時代~大学時代>


愛知県岡崎市出身。
体が弱く、小さい幼少期。
体の大きかった姉に、いじめっ子から守られながら、日々を過ごす。

小学生では、スポーツ万能、イケメンで、
かつ頭もよい親友を持ち、
自分はそんな彼に付いてまわる「金魚のフン」のような毎日を送る。

何もできない自分に”コンプレックス”を抱えながら
小学校、中学校時代を過ごす。

「なぜ人は、生まれながらこうも違うのだろう・・・?」

”コンプレックス”から生まれた素朴な疑問が拭い去れず、
高校で「心理学」に興味を持つ。

(後略)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


すなわち、繰り返しになるのですが


「私にとって学生時代はコンプレックスの塊」


の時代だった、ということ。

暗黒期とまでは言わずとも、
華々しい時代とは決して言えなかったのでした。


そして、そういえばそうだったな、
ということを親友との再開で思い出したのです。


■同じ人間なのに、

「キャプテンのTくん」と「万年補欠の自分」。

「モテるTくん」と「鼻水垂らしている自分」。

「生徒会で人気者のTくん」と、「後輩にバカにされる自分」。


それが、私にこういう疑問を残したのでした。


「なぜ、こうも違うのか?」

と。


思春期の多感な時期の自分にとっては、
これは由々しき問題で、
自分の心に彫刻刀で深く掘られたような、
そんなインパクトを残しました。


それは大きくなっても旨に残る疑問だったのです


■今、私は、おそらく、
かなり暑苦しいレベルの

「自己啓発、自己成長、大好き人間」


となっていると思います。

私自身はまだまだだと思いますが、

「よくやるよね」

と言われることも、かなり多いです。


100キロマラソン、
1年間の英語塾なり、
サムライ塾、テニス、
読書、勉強会、セミナー、

中には苦痛を伴う
それなりにハードルが高いことに対して、
チャレンジをするようになりました。


そして聞かれるのです。

「なんで100キロにチャレンジするのか?」

「なんでわざわざ厳しいことをするのか?」

「なんで高いお金を払って勉強するのか?」

「いつから暑苦しい目標を掲げるようになったのか?」


と。


しかし、
これらの質問に対する答えとは、
間違いなく



【自らに対する強いコンプレックス(=痛み)】



が根源にあったからである、

そう、私は思うのです。


■人により、大きい、小さいはあるにせよ、
自分に対する”期待感”というものがあります。


しかし、そんな自分への”期待感”とは裏腹に、
現実は全然上手くいかない、
”痛み”とか”苦難”ばかり。


それが続くと、

「自分の人生はこんなはずじゃない」
「なんでこんな辛い目に会うのか」
「なぜ自分だけ」

そんな”心の叫び”が、
心の中でこだまして大きくなるのです。



しかし、だからこそ、
そんな”痛み”があるからこそ、

「なぜ、満たされないのか?」

という疑問が生まれ、そして、

「自分を変えたい」

というきっかけが生まれるのではないか、

私はそのように思うのです。


そのように思うのです。


■「7つの習慣」では、
第2の習慣 終わりを思い描くことから始める、
という習慣において、


”自らの人生のミッションを考える”


ことが、自らの人生をより良いものにするために、
輝かしい成功をおさめるために、
必要不可欠な超重要な要素である、と言います。


しかし、この「ミッション」なるものも、
見つけられる人、見つけられない人がいるのです。


しかし、先述上げたような

”痛み”
”苦痛”
”心の叫び”を感じた人、感じている人

であればあるほどこそ、

「なぜなんだ?」「どうなりたいんだ?」

という疑問も持てるし、
深く問いかける事ができる傾向がある、

そのように思うのです。



人生において、
コンプレックスや挫折は
”痛み”や”苦痛”を伴います。


でも、見方によっては、
自分を変える変化の原動力になります。


「コンプレックス」は、祝福。

「痛み」は、成長へのドライバー。



【人が変わるための、最強のドライバーとは「コンプレックス」である】。


そう思います。

数年ぶりに再会した、
今でもカッコイイ親友と出会い、
尊敬の念と、今だからこそ、ますますの感謝を感じた1日でした。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

【本日の名言】 神は我々を人間にするために
何らかの欠点を与える。

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