メールマガジン バックナンバー

1857号 2019年3月19日

「休日無駄にしてしまった感」は、地味に自分を毒していくもの

(本日のお話 2858字/読了時間4分)


■おはようございます。紀藤です。

昨日は、フルマラソン明け&半年間実施していた研修プログラムが終了したので、
久しぶりに、終日お休みをとっておりました。

妻も個人事業主なので、
妻とともに千葉のちょっとだけいいホテル(平日は安い)へ行き、
ゆっくりしておりました。

たまにはこういうのもよいものですね。



さて、本日の話です。

昨日、休日ということで、
特に何の計画も立てずに過ごしましたが、
「休日の過ごし方」について、一つ思うことがありました。

本日は、休日の過ごし方、から思った気づきについて
思うところを皆さまにご共有できればと思います。

タイトルは、


【「休日無駄にしてしまった感」は、地味に自分を毒していくもの】


それでは、どうぞ。


■何もせずに、ゆっくりすることは快適です。

月~金まで、平日駆け抜けて、
怒涛の毎日を送る。

自分の意志で自分の行動を律する。
目標に向かっていく締切のあるプロセスとは異なり、
感覚のまま、欲求のまま動く事は、実に楽で、気持ち良いものです。


私も日々計画を立てて過ごしていますが、
久しぶりに「今日は完全なオフだ」と言うことで最低限のメールや、
自分で決めた習慣を行った後は、フルマラソンの疲れもあったので、
完全にスイッチをオフにして、気の向くまま、楽な1日を過ごしていました。

非常に癒されましたし、
「これはこれで良い1日だったかもな」
と感じます。


■しかし同時に、もう1人の自分が、
別の声を発していることにも気づきました。

それは、

「何もしない休みに対しての、燃焼しきれていない感覚」

です。

もしかしたらこれは私だけなのかもしれません。

ですが、エンゲージメント調査で有名な、
米ギャラップ社のコンサルタントが書いた本で『強みを活かせ』という著書の中で、
こんな一節が思い出したのです。


『我々は毎日、達成感を感じたいものである』


という言葉でした。


■「毎日の達成感」。

これは、思うに必ずしも月曜日から金曜日だけのことを言うわけではなく、
「自分の人生全体」に関して、ちょっとずつよくなっているという、
”逓増感”を覚えていたいということではないか、と思うのです。



■例えば、ある土日の休みの1日で、
典型的なこんな過ごし方があったとします。

~~~~~

「今日は休み」ということで、がっつり昼12時まで寝る。

寝過ぎて頭がぼんやりして、
寝すぎたが故に腰の痛みも感じつつ、
起き上がるのが少しだるい気分。

布団に入ったままスマートフォンをいじりつつ、
なんとなく動画に身耽ったり、ゲームにだらりと没頭。

15時位になり、お腹がすいたと思い、
近所のがっつり系ラーメンを食べ、
炭水化物でお腹いっぱいになって、
家に帰れば、うつらうつらと眠くなる。

うとうととしていると、気づけばもう18時。


夕方18時になり、日が傾いたのを見て、
”1日を無駄にしてしまった”という焦燥感が出てくる。


・そういえば、前から読もうと思ってた本があったんだ、
・今日は英語の勉強しようと思っていたんだ、
・来週に向けて企画をつくろうと思っていたんだ

そんなことを頭の中でぼんやりと考えつつも、なんだかやる気が出ない。

そうこうしてるうちに、
テレビのゴールデンタイムが始まる。
特に興味があるわけでもないけれども、

大事なことに手をつけなければと思いつつも、
取り組むのが少し億劫なので、テレビをつける。

すると、テレビの魅力に引き込まれ、
あれよあれよと気づけば23時。

風呂に入ろうと思い、風呂から上がると、24時。
日付が変わった。

そこではっとする。


そろそろやらねば、といことで、
日付が変わって0時になってからようやく重い腰を上げ、
本を読み始めたり、部屋の片付けをしたりとスイッチが入ってくる。

そのままスイッチが入り、ふと気づけば明け方4時。



夜更かしをしてしまった結果、
翌日の日曜日も昼12時ぐらいに起きる。

そして、あら、またやっちまった、と感じつつ、
すぐに動く気がしないので、布団でゆっくりとしつつ、時間を過ごす。

そしてまた夕方になり、サザエさん。

この土日何をして過ごしていたんだろう、、、

と「自尊心の毀損」を引き起こす。

~~~~~~~~~

こんなことないだろうか、と思うわけです。



■「休日にゆっくり」というのは、癒しと言う意味で、
とても大切な活動だと思います。

しかし、「休みすぎ、休息の取りすぎ」は、
ただの時間の浪費に成り下がってしまうのです。


実は、上記で伝えたような1日は、
私の大学時代の典型的な生活でした。

でも今思えば、「楽だけど、楽じゃない」、
そんな感覚を覚えていたな、と振り返って思うのです。


「楽だけど、楽じゃない」と言うのは、

・もっと有意義な1日が過ごせるはずなのに、
・もっと未来に進むための活動ができたはずなのに、

そう思いつつ、その瞬間瞬間の安楽に身を委ねてしまう自分、
自分を律することもできず、なし崩し的に過ごす堕落した毎日、

そのことにより、

「見えない自尊心の毀損」

が着々と自分を毒していき、
何とも言えない無力感に襲われていたのでした。

それが、ずしりと重たい”モヤモヤ感”を残していたのです。


■では、どうすれば良いのか。
■おはようございます。紀藤です。

昨日は、フルマラソン明け&半年間実施していた研修プログラムが終了したので、
久しぶりに、終日お休みをとっておりました。

妻も個人事業主なので、
妻とともに千葉のちょっとだけいいホテル(平日は安い)へ行き、
ゆっくりしておりました。

たまにはこういうのもよいものですね。



さて、本日の話です。

昨日、休日ということで、
特に何の計画も立てずに過ごしましたが、
「休日の過ごし方」について、一つ思うことがありました。

本日は、休日の過ごし方、から思った気づきについて
思うところを皆さまにご共有できればと思います。

タイトルは、


【「休日、無駄にしてしまった感」を打ち破り、充足感を得る方法】


それでは、どうぞ。


■何もせずに、ゆっくりすることは快適です。

月~金まで、平日駆け抜けて、
怒涛の毎日を送る。

自分の意志で自分の行動を律する。
目標に向かっていく締切のあるプロセスとは異なり、
感覚のまま、欲求のまま動く事は、実に楽で、気持ち良いものです。


私も日々計画を立てて過ごしていますが、
久しぶりに「今日は完全なオフだ」と言うことで最低限のメールや、
自分で決めた習慣を行った後は、フルマラソンの疲れもあったので、
完全にスイッチをオフにして、気の向くまま、楽な1日を過ごしていました。

非常に癒されましたし、
「これはこれで良い1日だったかもな」
と感じます。


■しかし同時に、もう1人の自分が、
別の声を発していることにも気づきました。

それは、

「何もしない休みに対しての、燃焼しきれていない感覚」

です。

もしかしたらこれは私だけなのかもしれません。

ですが、エンゲージメント調査で有名な、
米ギャラップ社のコンサルタントが書いた本で『強みを活かせ』という著書の中で、
こんな一節が思い出したのです。


『我々は毎日、達成感を感じたいものである』


という言葉でした。


■「毎日の達成感」。

これは、思うに必ずしも月曜日から金曜日だけのことを言うわけではなく、
「自分の人生全体」に関して、ちょっとずつよくなっているという、
”逓増感”を覚えていたいということではないか、と思うのです。



■例えば、ある土日の休みの1日で、
典型的なこんな過ごし方があったとします。

~~~~~

「今日は休み」ということで、がっつり昼12時まで寝る。

寝過ぎて頭がぼんやりして、
寝すぎたが故に腰の痛みも感じつつ、
起き上がるのが少しだるい気分。

布団に入ったままスマートフォンをいじりつつ、
なんとなく動画に身耽ったり、ゲームにだらりと没頭。

15時位になり、お腹がすいたと思い、
近所のがっつり系ラーメンを食べ、
炭水化物でお腹いっぱいになって、
家に帰れば、うつらうつらと眠くなる。

うとうととしていると、気づけばもう18時。


夕方18時になり、日が傾いたのを見て、
”1日を無駄にしてしまった”という焦燥感が出てくる。


・そういえば、前から読もうと思ってた本があったんだ、
・今日は英語の勉強しようと思っていたんだ、
・来週に向けて企画をつくろうと思っていたんだ

そんなことを頭の中でぼんやりと考えつつも、なんだかやる気が出ない。

そうこうしているうちに、
テレビのゴールデンタイムが始まる。
特に興味があるわけでもないけれども、

大事なことに手をつけなければと思いつつも、
取り組むのが少し億劫なので、テレビをつける。

すると、テレビの魅力に引き込まれ、
あれよあれよと気づけば23時。

風呂に入ろうと思い、風呂から上がると、24時。
日付が変わった。

そこではっとする。


そろそろやらねば、といことで、
日付が変わって0時になってからようやく重い腰を上げ、
本を読み始めたり、部屋の片付けをしたりとスイッチが入ってくる。

そのままスイッチが入り、ふと気づけば明け方4時。



夜更かしをしてしまった結果、
翌日の日曜日も昼12時ぐらいに起きる。

そして、あら、またやっちまった、と感じつつ、
すぐに動く気がしないので、布団でゆっくりとしつつ、時間を過ごす。

そしてまた夕方になり、サザエさん。

この土日何をして過ごしていたのだろう、、、

と「自尊心の毀損」を引き起こす。

~~~~~~~~~

こんなことないだろうか、と思うわけです。



■「休日にゆっくり」というのは、癒しと言う意味で、
とても大切な活動だと思います。

しかし、「休みすぎ、休息の取りすぎ」は、
ただの時間の浪費に成り下がってしまうのです。


実は、上記で伝えたような1日は、
私の大学時代の典型的な生活でした。

でも今思えば、「楽だけど、楽じゃない」、
そんな感覚を覚えていたな、と振り返って思うのです。


「楽だけど、楽じゃない」と言うのは、

・もっと有意義な1日が過ごせるはずなのに、
・もっと未来に進むための活動ができたはずなのに、

そう思いつつ、その瞬間瞬間の安楽に身を委ねてしまう自分、
自分を律することもできず、なし崩し的に過ごす堕落した毎日、

そのことにより、

「見えない自尊心の毀損」

が着々と自分を毒していき、
何とも言えない無力感に襲われていたのでした。

それが、ずしりと重たい”モヤモヤ感”を残していたのです。


■では、どうすれば良いのか。

もし、上記のような「見えない自尊心の毀損」に囚われているのであれば、
どうすれば、その沼地から脱出することができるのか。


これは、実は、「意思ではどうしようもない話」だと私は思っています。

なぜなら基本、人は楽をしたい生き物だから。


ゆえに、意志力を発揮してどうこうしようと思っても、
結局元に戻ってしまうわけです。


ではどうすれば良いかというと、2つ。

==============
1,目標を立てること
2,他者を介在させること
==============

このことに尽きます。



■1つ目の「目標を立てる」は、
何をするか、何処に向かうかを決めること。
行き先を決めなければ、当然ダラダラしてしまいます。

ただ、これだけではうまく発動しません。

2つ目は「他者を介在させる」のです。

つまり、誰かを巻き込んだ予定を立てる、とか、
誰かと約束する、などです


・朝からランニングがしたければ、誰かをランニングに誘い一緒に走る。
・朝から英語の勉強がしたければ、朝一の英語塾を探し、申し込む。
・情報発信をしたいと言うのであれば、朝メルマガ/ブログを書くコミュニティを作る、

などなど。


そうやって、自分を律し、
「第二領域(=緊急ではないが重要な活動)」に自分を居続けさせる活動を、
常態化すべく”仕組み”を作り、自らをその中に365日組み込むこと。

そういう習慣を作ることで、
「短期的な安楽(=長期的にはモヤモヤ)」ではなく、
中長期的にも自分に役立つ「充足感」を得られるようになるのです。



■ということで、

・やろうと思っているのにできない自分、
・何となくダラダラ過ごしてしまった自分、
・未来につながっていく感じがしない自分、

こういったものが、特に向上心がある方にとっては、
自分の心にダメージを与えるものであるものです。


【「休日無駄にしてしまった感」は、地味に自分を毒していくもの】


ゆえに、そこから脱出するために
「目標の設定」&「他者の介在」により、
自分を律して行くことが大事ではなかろうか、

そう思った次第です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

================================
<本日の名言>

私が後悔することは、しなかったことであり、
できなかったことではない。

イングリッド・バーグマン

===============================

365日日刊。学びと挑戦をするみなさまに、背中を押すメルマガお届け中。

  • 人材育成に関する情報
  • 参考になる本のご紹介
  • 人事交流会などのイベント案内

メルマガを登録する

キーワードから探す
カテゴリーから探す
配信月から探す