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1896号 2019年4月27日

「なぜ痛い思いをして空手をやるのか?」の質問の回答から考える、 "理解できない他人”の気持ちを知る方法】

(本日のお話 2854字/読了時間5分)


■こんにちは。紀藤です。

昨日金曜日は、メルマガ新サイトオープンに向けて、
アップする記事の作成などを行っておりました。

これから、過去の読者の皆さまから評価の高かったメルマガを、
写真付きで読みやすくアップしていく予定でございます。

また、夜からは英語塾への参加でした。



さて、本日のお話です。

今日からゴールデンウィークですね。
10連休という、THE・大型連休。
皆様は、どんなご予定を立てていらっしゃるのでしょうか。

私は、”来月の100キロマラソンに向けて練習”をやりたいと思っておりますが、
先週の空手のダメージにより、まだ長距離を走れない現状です(汗)

「GWにランニングの練習をしたいけど、空手の怪我でできない」
なる葛藤を、英語塾の仲間に話をしていたところ、

「そもそも、なんで空手やっているの?」

という素朴な質問を受け、その内容が、
人間関係の永遠のテーマである「他人を理解する」ことに繋がるかと思いましたので、
(ちょっと強引ですが、、、)
そのお話からの気づきを皆様にご共有させていただきたいと思います。

タイトルは、


【「なぜ痛い思いをして空手をやるのか?」の質問の回答から考える、
"理解できない他人”の気持ちを知る方法】


それでは、どうぞ。


■毎年恒例になっている個人的なイベント。

それが、「100キロマラソン」への参加です。

野辺山ウルトラマラソンという、
キング・オブ・ウルトラマラソンと呼ばれるレース。
高低差2000メートルの山を、14時間以内に完走するという競技です。

毎年5月に行われますが、今年で参加は4回目となります。

という話をすると、だいたい聞かれるのが、
「なんでわざわざ、そんなキツいことやるの?」
という質問。


■その回答をお伝えすると、

・60歳になっても、100キロ走れることが密かな目標だから。
・100キロ走れるというと、なんだかすごそうで(実はそうでもないのですが)、
セルフ・ブランディングにはもってこいだと思うから

という回答になります。
ただし、それは表面的には、です。


■ちなみに、1年ほど前から、
縁あって、“極真空手”を始めました。

独特の流派であるため、
プロテクターなどはなく、基本素手で打ち合いをするのですが、
特に”組み手”の相手が黒帯の先輩だと、毎度の事ダメージを負います。
具体的に言うと、
「ローキックにより、足を壊される(!)」
のです。

私はガードが下手くそなので、毎回なんとも言えない鈍痛をお土産に帰宅します。
打撲なので、治るようでなかなか治らない。


■前回の稽古から、もう10日たちますが、
いまだに左足がじんわり痛い。

ですから、100キロマラソンに向けて、
練習できないこともないけれども、バンバン長距離を走る、
ということもできない。

空手を優先するのであれば、
体を重くする、筋肉をつける、打たれ強くする、
”体をでかくする”ことが有利です。

しかし、ランニングは体重がそのまま荷物になるので、
より速く、より楽に走るには、細くする、軽くする、
すなわち、”体を小さくすること”の方が有利なのです。

つまり、「空手とランニングは相性が悪い」のです。


■そんな話を友人にしていると、
皆ほぼ100%口を揃えて言うのが、

「じゃあ、なんで空手やってるの?」

という質問になるわけです。

痛い思いをしてわざわざ、、、。
確かに、当然の疑問です。

おそらく、その感覚は、
一般的にはわかりづらいもの。
変わっていることは、私もなんとなくわかります。

だから、理解できない“興味の対象”として、
よく質問されるのでしょう。


■では、「空手」をやる理由は、一体何なのか?

それは、あくまで私の場合、


『”恐れ”に打ち克つ精神力を鍛えるため』


だと思っています。

私たちは、どんな人でも、
多かれ少なかれ”恐れ”があると思います。

それというのはいろんな種類があると思いますが、

・やったことがないことに対する恐怖、
・自分よりも偉い人、強い人に対する恐怖、
・未知のもの、理解できないものと出会う恐怖(幽霊?)
・失う恐怖

などでしょうか。

いずれの恐怖も

「自分が傷つけられる」
「心的、肉体的にダメージを負う」
「持っている何かを失う」

というのが、恐れの根本ではなかろうか、と思うのです。

そして、それは当然のこと、
自分たちが生きるために恵まれた習性です。


■そして、「極真空手」というのは、
ハッキリとわかる”肉体的な痛み”を伴いますので、結構、怖いのです。

まだ素人の感覚ですが、その中で空手をやると


『恐れと対峙して、それでも立ち向かうと言う精神を修行せざるをえない』


となるわけです。

そしてそれこそが、一般的に理解されない
「なぜ、痛い思いをして空手をやるのか?」の回答となります。
という私なりのお話でした。


■ちなみに、この話。

つらつらと私の体験談を語ってしまいましたが、
何を伝えたいかと言うと、

「理解できない他者を理解する」

という文脈で、少し抽象度を上げて考えてみたいのです。

私の例で恐縮ですが、
「空手」や「100キロマラソン」で、

・”なぜ”、私が、わざわざ恐怖と対峙しようと思うのか?
・”なぜ”、私が、肉体的に鍛えることを選ぶのか?

と敢えて深掘りして考えてみるわけです。

すると別に、空手や100キロマラソンでなくても、よくないか?と。
なぜわざわざ、そこまで追い込むのだろうか?と。

■私の場合、正直にお伝えすると
その「恐れとの対峙」の背景に


”小さい頃体が小さく、いじられ、弱かった自分を克服したい”


という、刷り込まれたコンプレックスの克服に未だ向き合っている、
真の自信をつけたい、ということが隠れているように思うのです。

未だにそんなことを思っているのは、なんだかお恥ずかしい限りですが、
「なぜ、なぜ、なぜ」と問うていくと、確かにそんな思いがくすぶっている。

自信をつけたい。
強くなりたい。

そんな私(紀藤)の価値観が眠っている、と思ったのです。


■すなわち、どんな理解できないことでも、
「他者がしている何か」には、おそらく大なり小なり理由がある、ということ。

なんとなくそれをやっていても、
なぜ、なぜ、なぜ、と深掘りしていくと、

・その人が持っている「価値観」
・大切にしていること、こだわり
・快適な瞬間、深い欲求
・これまで歩んできた歴史

などが垣間見えてきたりするもの。


理解できない人について、
「なんで、それやっているの? 意味わかんない」と思う時、

“一見、理解できない行動の裏側に、その人なりの何かの理由がある”、

そんなメガネをかけて見てみると、
理解できないあの人の「価値観・こだわり・歴史」など、
深い部分が見えてくるのではなかろうか、

そんなことを思った次第です。


めんどうくさがられない範囲で、
「なんで、◯◯をやっているの?」の向こう側、
もっと深い部分にタッチすると、また見えてくるものもあるのではなかろうか、
そんなことを思った次第です。


ということで、なかなか理解されない

【「なぜ痛い思いをして空手をやるのか?」の質問の回答から考える、
"理解できない他人”の気持ちを知る方法】

として、(ちょっと強引に)お伝えさせていただいた次第。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
今日も皆様にとって、素晴らしいGWとなりますように。

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<本日の名言>

外国人との交流を通して、
彼らの考え方と私の受けた教育には
大きな違いがあることを発見し、
外には全く別の世界があるのだということを理解した。

ジャック・マー(中国の実業家)
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