読書レビュー『ユング心理学入門』ー第2章 コンプレックスー
(本日のお話 2758字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日も、ストレングス・ファインダーの研修でした。
15名と少数での研修で、皆さんとたくさん対話ができて、
たいへん楽しく、贅沢な時間でした。
一方、少し私が没頭しすぎたため、反省点もあった次第。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました!
また朝は12kmのランニングなど。
*
さて、先日から、ゆっくり読み解いている『ユング心理学入門』。
今日もこちらのレビューを進めていきたいと思います。
本日のテーマは「コンプレックス」です。
「私にはコンプレックスがあって…」と、自分の内面の繊細な部分を表現する際に、
多くの人が一般用語として使われているこの言葉は、元々ユングが提唱した概念でした。
では、このコンプレックスとは一体何なのか?
その本来の意味とは、一体どんなものなのか?
このことについて、今日は紐解いてみたいと思います。
それでは、早速まいりましょう!
■コンプレックスとは、そもそも何か?
本書の中で、「コンプレックスの定義」として語られているところを引用すると、このような表現になります。
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多くの心的内容が同一の感情によって一つのまとまりをかたちづくり、これに関係する外的な刺激が与えられると、
その心的内容の一群が意識の制御をこえて活動する現象を認め、無意識内に存在して、何らかの感情によって結ばれている心的内容の集まりを、
ユングはコンプレックスと名付けた。
P42
ーーーーー
・・・はい、これだけ読むと、何がなんだかさっぱりわかりません(汗)
これを理解するためには、その前段となっている歴史を、紐解く必要があるので、少しお付き合いください。
このコンプレックスという言葉が最初に用いられたのは、1906年で、ユングの「言語連想実験」という著作の中でした。
ユングにとって、この概念は非常に重要で、自身の心理学を「コンプレック心理学」と呼んでいたこともあるくらいだそうです。
「言語連想実験」とは、”ある簡単な言葉を連想するときに、反応が遅くなる”という現象に気づいたそうです。
それは、何かしらの情動的なものが影響しているように見えた、とのこと。たとえばですが、「白」から連想すると「黒」です。
ただ、白→青かもしれないし、白→雲かもしれない。
それを、ある人に聞くと、「白」→「白い布」→「死人」などと連想する場合がある。
よくよく聞くと、ごく親しい人が亡くなって、そのことが心のそこに強い感情を持って現れていた。
そうしたことから、連想過程に遅れが生じていた…、そんな風に観察されることがあるそうです。
つまり、これが上記に述べた「心的内容の一群が意識の制御をこえて活動する現象を認め」ということであり、「無意識内に存在している心的内容のあつまり」とよび、こうした「心的複合体」をコンプレックスと名付けたのでした。
■コンプレックスが「自我」を乱す?!
次に重要なキーワードが「自我(ego)」なるものです。
これも聞き馴染みがある言葉ですが、ユング心理学の中での自我とは、「意識体系の中心機能として存在するもの」と述べました。「心のまとまり」を統合するもの、それが「自我」なるものです。
この「自我」があるから、白→黒と連想できるのですが、興味深いのが「コンプレックスが自我を乱す」と述べられていることです。
シンプルな白→黒の連想を難しくしたり、あるいは近しい人の名前を思い出せなくしたり、急に言葉がどもってしまったり…こうした現象は「コンプレックスが自我を乱している」ということの現れだそうです。
■「心的外傷」がコンプレックスの核になりうる
本書で事例として述べられていたのが、「コンプレックスの核になるものが、心的外傷であることも多い」という話でした。
たとえば、幼少期に実の親から、虐待を受けていた。
彼女は、耐え難い経験を無意識に抑圧していきることになる。
なぜならば、意識内にとどめおくことは辛すぎるから、抑圧せずにはいられない、となる。ただし、この経験に伴う恐怖感や嫌悪感も同時に抑圧される。
そして、”類似する感情を伴う経験がこれ(虐待の経験)に吸収されていく”ことになる。教師に怒られた経験、犬に噛まれそうになった経験などがくっつき、一つのまとまりになる。
すると、「理由はわからないけれど、やたら”馬(犬から連想される)”が怖くて近づけなくなる」というような現象として発現する、というように。
まさに、「心的外傷」という一つの核を元に、雪だるまのように様々な感情が重なっていき(=コンプレックス)、
間接の間接の間接の刺激によっても、自分の当時の抑圧された感情が顔を出すことになる、ということかと思われます。
これが、劇的なものになると「二重人格」になると述べられています。これは、コンプレックスが強くなりすぎて、自我と主権を交代した状態になる、と説明されます)
■コンプレックスは「反動形成」を生む
このように、コンプレックスと自我が「同一視」されるのは、ある程度だれでもあるそうです。
たとえば、「幼少期の親に影響を受ける」というのもそうです。
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・男性なら父親の言動に、女性なら母親の言動によってしまうというようなのもコンプレックスの影響下に、自我がある状態とされます。
・その程度が、「まるっと全部、影響を受けるのか」「ごく部分的に影響を受けるのか」が違うことであり、一般人でもそれはある程度見られるそうです。
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興味深いのが、こうした中で人は「同一視」から自由になろうとして、「反動形成」を生むという話でした。
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・例えば、「厳格な親」から自由になろうとして「放任的な親」に自分がなる、というようなケース。
・あるいは「劣等感コンプレックス」がある反面、同時に「優越感コンプレックス」を感じているというようなケース。
(例:「自分なんてダメだ、いなくなったほうがいい」と自殺を図る一方、「同じような悩みを救う仕事がしてみたい」という優越感が共存している)
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意外とこういうのも多いものだ、と述べています。
いずれにせよ、どちらもコンプレックスの影響を受けている、となります。
■まとめと感想
その他にも「投影」(人は皆ずるいものだ=自分がずるい)というように見せるという機能があること。
それによって、自分自身のコンプレックスを認知することもできうるということ、そんなことが述べられていました。
また、後半では「コンプレックスの解消」ということで、ある小学3年生の子どもの、極度の潔癖症に悩むケースが紹介されます。
そこでは、親の教育の影響もある「危ないこと、攻撃的なことを抑圧された強いコンプレックス」がありました。
そこで、療法を通じて自分を表現し、汚いことをあえてしたり、極端に攻撃的になってみるというプロセスの中で、カウンセラーがそれを受け止めることによって、
コンプレックスの解消が図られていく事例が紹介されていました。
この章を読んで、自分を含めて「少なくない人が抑圧された感情」を持っていることも少なくないのだろう、と感じていました。
それと付き合いながら、機会を探しながら、氷を溶かしていくように、あやとりを紐解くように向き合うのが、もしかすると人の発達なのかな、と思ってみた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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